『秒速5センチメートル』という映画がある。詳細は省くが、主人公の男の子が、彼に好意を寄せている女の子を泣かせてしまうシーンがある。彼女は涙を堪えながら、「優しくしないで」と、声にならない声を漏らす。
彼女から見れば、その男の子の気持ちが理解できなかったのだろう。彼が別に彼女を好きでないことは明らかだった。それなのに、過剰なくらいに彼は優しい。下心があるわけでもない。下心があるほうが、まだ良かったかもしれない。目的地のない優しさが、彼女にとっては恐ろしかったのだと思う。
好きでもないのに、なぜ優しくしてしまうのか。それはきっと、本人が一番わからない。その優しさで、相手が幸せになるわけがないことはわかっているはず。なのに、優しくしてしまう。
同じことを自分もやったなあ、と、ふと思い出した。何度目かのデートの帰り。雨の日だった。彼女は泣いていた。泣きながら怒っていた。
どうすれば良かったのか、今もよくわからない。たぶん、あれは一種の自傷行為だったと思う。自分に向けられる好意という名の刃を、自分の皮膚に押し当てていた。そうすることでしか、自分の存在を確かめることができなかった。呆れるくらいに臆病だった。
貴樹くんも同じだったと思う。秒速の男の子の名前。彼は「明日のこともよくわからない」と言っていた。それを聞いて、花苗はうれしそうに笑った。誰も傷つけないように生きることはきっとできない。その不条理に、優しさという名前がついているだけなのかもしれない。