審査や選考の類に縁のない人間である。就活は落ちまくったし、コンテストなんかも「あと一歩」止まりの人生だった。競争というものが根本的に合っていないのだと思う。同じスタートラインに立たされて「よーいどん」で優勝したことは、今までの人生でたぶん一度もない。
その中でも、比較的うまくいったケースを思い返してみる。私は大学を出て、日本ファルコムというゲーム会社に入った。本当は映像系の会社に入りたかったけれど、全滅したので、ゲーム会社を受けることを思いついた。それまで、ファルコムに入りたいと強く思ったことはなかった。なんとなく、ありかもな、くらいの気持ちだった。応募して、課題をこなし、面接を受けて、内定をいただいた。もう、2月くらいのことだったと思う。喜びよりも安堵が先に来たのをよく覚えている。
ファルコムを受けたとき、たぶん、私は競争をしていない。もちろん、応募して落とされた人はいると思う。でも、その人たちと「比べられた」わけではないと思う。大企業だとそうは行かない。効率的に選ぶために、候補者はふるいにかけられる。私は、いつもそこで負けた。ファルコムの選考は、そもそも比べられていない。なんか変な奴が来たな、というところから始まる。タイミングもあったかもしれない。もし、通常の就活シーズンだったら、比べられて、落とされたかもしれない。映像会社に落ちまくったのは、ある意味で幸運だった、かな?
今の勤務先もそう。ちょうど1年くらい前、いろんな意味でボロボロだった。もう終わりだと思った。最悪の選択肢もよぎった。そんな折、たまたまとある求人を見つけた。大学時代の専門にきわめて近く、加えて、ゲーム開発などの経験が評価されるポジションだった。かなりニッチで、条件を満たす人は日本に10人もいないと思う。そこへ、ありがたいことに採用された。タイミングも相まって、かなり良い条件を提示された。文字通り命拾いした。
そうやって、なんとか生き延びてきた。競争に負けて、落ちた先で、競争せずに済む場所を見つけてきた。100人の中で競争すれば、選ばれる確率は1%だけれど、そもそも競争しなければ、選ばれる確率は100%である。
100%の確率で選ばれることは、選ぶことと同じだ。つまり、選ばれたければ、こちらが選んでしまえば良い。コンテストに受かりたいのなら、出場するコンテストを選ぶところが最大の勝負である。いや、もはや勝負ですらない。エントリーする時点で、結果は決まっている。上手いバスケットボール選手は、ボールが手から離れる前に、シュートが決まるかどうかがわかるという。
選ばれることを諦めてから、ずいぶんと生きやすくなった気がする。選ばれないという現実を突きつけられるたびに、人生そのものを否定されたように錯覚していた。もちろん、そんなことはない。競争すれば、勝者以外は全員負ける。そういうことに疲れてしまったから、できるだけ競争せずに済む生き方を模索し始めた。
とはいえ、競争を避けられない場面は多い。ゲームイベントの出展申し込みなんかは、毎回とても気が重い。準備が大変だし、落ちたら落ち込むし、受かっても大してうれしくない。宣伝、つまり仕事として、仕方なく申し込んでいる。本当は、そういうのも辞めたい。自分の人生を見知らぬ誰かに委ねたくない。あるいは、言い換えれば、自分の人生を預けられる誰かを、いつかちゃんと選びたい。うん、やっぱりこっちのほうがしっくりくる。私みたいな人間は、そのように生きるしかないようです。