生きるためにはお金が必要であり、お金を得るためには仕事をしなければならない。誰かに養われているのでもない限り、ほとんどの人は仕事をする必要がある。仕事をせずに済んでいる人は、その時点で幸運といえる。あとは好きなことを好きなだけやれば良い。
好きなことを仕事にすることが、ある種の成功体験として語られることが多い。好きではない仕事をしたことがある人なら、その理由がわかると思う。会社に就職すると、平日のうち8時間は仕事が占めるようになる。通勤に片道1時間かかるなら往復で2時間。睡眠が8時間。その他、食事や家事やお肌のお手入れをすると、可処分時間はほとんど消える。ここに残業やら飲み会やらデートが重なると、自由な時間はさらに減る。そのような生活をしている人は、決して少なくないだろう。
好きなことを仕事にすると、そのような息苦しさは消える。好きなことをして稼いだお金で、ほかの好きなことができる。好きなことだけで生きられるようになる。もちろん、仕事である以上、他人の指示に従ったり、やりたくないことをやらなければならないこともあると思う。それでも、「好きな仕事」と言えるくらいには満足しているわけで、そうなれば、細かい不満はむしろ日々のスパイスみたいなものだろう。
だから、好きなことを仕事にすることにみんな憧れる。そのような人は勝ち組であり、そうでない自分は負け組だ、と。でも、考えてみてほしい。ラーメンが好きな人は多い。ラーメンを食べてお金がもらえたらなあ、と、ラーメン好きなら一度くらいは考えると思う。しかし、そのような仕事は存在しない。かろうじてYouTuberが該当するかもしれないけれど、仕事として成り立つ可能性はきわめて低いだろう。宇宙飛行士も似ている。狭き門である以前に、健康面の条件で応募できない人が多い。ラーメンや宇宙が好きな時点で、ほぼ「負け」なのだ。
逆に、人の役に立つことが好き、という人になら、仕事は腐るほどある。介護も飲食も建設も、どれも誰かの役に立つ。役に立つことが仕事の定義ともいえるから、仕事そのものが好きという、きわめて恵まれた環境である。絵を描くことが好きな人は、アニメーターになれば好きなだけ絵が描ける。アニメ業界はとにかく人手が足りていない。ある程度の実力があれば、お金をもらいながら無限に絵を描き続けられる。
つまり、なにが好きか、の時点で勝負はほぼ決まっている。仕事の種類は、時代や社会に依って変わる。好きなものに対して、仕事が用意されているとは限らない。好きな仕事がある時点で幸運なのだ。
好きなことを仕事にしている人は、ここにやや無自覚であるように思う。好きな仕事であっても、先のアニメーターの例のように、ある程度の実力は求められる。運もあるだろう。それでも、何万人というアニメーターがいて、アニメーターになるための専門学校まである。宇宙飛行士よりも遥かに簡単になれる。当然、宇宙飛行士だって運だ。少なくとも、心身の健康に恵まれていなければ絶対になることはできない。
私は高校生くらいの頃から映画を撮り始めた。映画監督になるのが夢だったけれど、それはまだ実現していない。でも、今になって考えてみると、雇われ監督、すなわち監督というポジションでプロジェクトに参加することにはほとんど興味がない。VFXアーティストにも、撮影監督にも、音響監督にも興味がない。映画に携わりたいという気持ちが私にはない。助監督として下積みをする道も一応はあるけれど、どうせ遠回りするなら、誰かのアシスタントなんてやりたくない。
その結果、ゲーム業界に入ることになり、今は恋愛ゲームをつくったりしている。ゲーム制作に携わりたいと思ったことも一度もない。シナリオを書いたり、絵を描いたりするのはそれなりに楽しい。でも、じゃあ、それだけを仕事にしろ、と言われたら、自分には絶対にできないと思う。
きっと、世界をつくるのが好きなんだと思う。世界を、宇宙を、物語をつくりたい。そのための手段が、たとえば映画であり、ゲームだった。手段そのものにこだわりはない。むしろ、いろんな手段をあれこれ試すほうが楽しい。そんな私にぴったりの仕事はあるかな。たぶん、ないと思う。そう、私は運が悪かった側の人間だ。その事実を受け入れて、苦しみながらつくり、生きていかなければならない。まあ、とはいえ、世界をつくるのも簡単ではないだろう。現実世界の困難が、実は創造主になるために用意された試練だったとすれば、むしろ幸運だったのかもしれない。