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本を読まない小説家

池田大輝
·
公開:2026/8/15

小説家の森博嗣先生は、小説をほとんど読まないらしい。小説のファンではないからこそ、斬新な小説が書けるのだという。一方で、とある文学賞の審査員いわく、すでにあるアイデアと同じような作品ばかりで辟易する、本をもっと読みなさい、とのこと。どちらに賛同するかはさておき、少なくとも事実として私は小説をほとんど読まないので、小説家になるとしたら森博嗣タイプである。高校生の頃は映画監督を目指していたけれど、映画はあまり観ていなかった。大学生になってから多少は観るようになったとはいえ、いわゆるシネフィルと呼ばれる人たちに比べれば、その数は桁違いに少ない。小説にしろ映画にしろ、作品から影響を受けやすいから、最近はあえて避けているというのもある。

小説を書くためには小説を読め、というのは、論理的には正しくない。小説を読まずとも、小説を書くことはできる。なんでもいいから、10万文字を書けば良い。小説をたくさん読めば良い小説が書けるとも限らない。AIはどんな人間よりもたくさん名作を読んでいるけれど、AIが人間の小説家を廃業に追いやった話はまだ聞かない。アイデアが被りにくくなるメリットは否定できないが、被らないアイデアが良いアイデアとも限らない。そもそも、読者はアイデアを求めているのか、という話もある。小説は、アイデアだけでできているわけではない。

良いアイデアを思いつくためには、誰かが書いた小説ではなく、現実世界を観察するのが良いと思っている。小説は写真みたいなもので、誰かが世界の一部を切り取った断片に過ぎない。写真から、世界について学べることはほとんどない。切り取り方のコツのようなものがわかる程度。大事なのは、方法よりも世界そのものである。世界には、あらゆる出来事があって、その中のどこにスポットライトを当てるのか、つまり演出家のような視点がクリエイターには求められる。小説が見せるのは、ライトが当たった部分だけだ。

事実は小説よりも奇なり、というのは本当である。信じられないようなことが、日々、世界中で起きている。わざわざ遠い海外に行かずとも、不可解な事件はすぐそこで起きている。本当に斬新なトリックは、それがトリックであることに誰も気が付かない。本当の殺人犯は、小説を盛り上げるためにわざわざ密室をつくったりしない。誰もまだ見つけていない鉱脈にスポットライトを当てるという意味では、小説を書くことは研究に似ている。つまり、森博嗣先生は正しい。審査員が間違っている、と書かないところが、このエッセィのトリックである。

@radish2951
恋愛ゲームをつくっています。毎日21時頃にエッセィを更新しています。恋愛ゲーム『さくらいろテトラプリズム』をよろしくお願いします。 daiki.pink