神木隆之介くんが一般女性と結婚したらしい。一般女性とはなんだろうか? 一般の対義語は特殊だ。名指しをされる職業という意味では、俳優はたしかに特殊といえる。お笑い芸人なんかも特殊だろう。映画監督もまあ特殊か。小説家はどうか? 東野圭吾や湊かなえといった、誰もが知る小説家であれば、特殊といえるかもしれない。が、そのような小説家は一握りで、小説だけで生計を立てられる人はさらに一握りと聞く。これは、映画監督やお笑い芸人にも同じことがいえる。とはいえ、特殊であることの対比として一般という言葉を持ち出す際に、収入の多寡をあえて強調するようないやらしさを、神木くんが意図したとは思えない。
芸能人以外にも、特殊な職業の人はいる。スポーツ選手、政治家、漫画家、医者、研究者などは、一般的な感覚からすれば、比較的特殊な、珍しい職業といえるだろう。とはいえ、そのような人たちは、結構そこらへんにいる。私は政府系の医療機関で研究職に就いているから、一緒に仕事をする人は、医者や研究者や役人ばかりだ。博士号を持っている人も多い。むしろ持っていない人のほうがマイナーかも?
小説家は名乗るだけでなれる職業である、と小説家の森博嗣先生は仰っていた。要するに、プロとは、プロを自負する覚悟のことだ。結婚相手を一般女性と呼べるのは、自分はそうではないという自負の現れだ。ある意味では、職業倫理に近いものだろう。医者は、その職責において、絶対にやってはいけないことがある。医者しかやってはいけないこともたくさんある。同じように、神木隆之介という俳優は、その名前が背負う役割をよく知っているからこそ、結婚相手を一般女性と呼べるのではないか。
ところで、森博嗣先生の奥様(森先生に倣ってあえて敬称)は、イラストレーターのささきすばるさんだ。と、言いつつ、私は彼女のことをよく知らない。森先生のエッセィを読むと、必ずと言っていいほど奥様のエピソードが登場する。たいへんな愛妻家なのだなあ、と微笑ましく思うけれど、同時に、森先生がエッセィに書かなければ、少なくとも私にとっては、奥様は一般女性だったはず。一般女性であり続けることも、そう簡単ではないのだな、と思わされる。
私? もちろん、特殊にならねばなるまい。でなきゃ、こんなエッセィをわざわざ書かない。結婚相手が一般か特殊かは、私ではなく、彼女が決めることだ。