生は生きている「状態」のことであり、死は死ぬという「変化」を表す。生きている間にも人間は絶え間なく変化するけれど、大きく見ればその変化は微々たるものであり、そして連続的である。一方、死は不連続な変化だ。いや、連続しているかもしれないが、滑らかではない。生命はカクッと死ぬ。徐々に死ぬ生き物はいない。いや、どうだろう。人生そのものを緩やかな死とみなすこともできる。その観点では、人間は生まれた瞬間から死に始めている、といえる。緩やかに死んでいき、最後にカクッと人生を終える。つまり、生きることとは死ぬことであり、人生の意味を問うことは死の意味を問うことに等しい。死は、長い文章の句点のようなものだ。句点に意味はない。その前に連なる文字のシークエンスにこそ意味があり、それを書き続けることは生であり、すなわち死である。この文章もいつかは死ぬ。と思ったら大間違いである。その意味を考えてみよう。考えることは死への抵抗であり、生の逆流である。想像力とは、たとえば、この文章をラブレターだと思って読むことであり、そうなれば、もはや生の意味も死の意味も無意味になる。意味なき死よ、来たれ。
ゲーム作家。恋愛ゲーム『さくらいろテトラプリズム』をよろしくお願いします。
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