表現者

池田大輝
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公開:2026/3/31

たまたまXで見かけた声優さんのプロフィールに「表現者」と書かれていて、かっこいいなと思った。表現者という肩書は、何かと馬鹿にされがちである。ふわふわしていて、何をする人なのかよくわからない。だから明確な肩書が欲しい、と私はずっと思っていた。けれど、肩書が定まる気配はない。ここ数年は恋愛ゲームをつくっているから、その意味ではゲームクリエイターである。同時に、去年くらいからフルタイムの研究職にも就いた。つまり研究者でもある。とはいえ、別に研究だけをやっているわけではなくて、ソフトウェア開発とか、サーバ管理とか、いろいろなことをやっている。それはゲーム制作も同じで、シナリオも書くしイラストも描く。アニメもつくるしプログラムも書く。このように書くといろんなことをやっていると思われがちだけれど、そんなことはない。一般的な会社員だって、メールも書くし議事録も書くし飲み会の幹事もするだろう。それと同じ。

でも、やっぱりわかりやすい肩書は欲しい。いろいろやっている、では情報量がゼロである(みんないろいろやっているから)。つまり、私の活動を網羅しつつ、なおかつ程よく特異的な肩書が理想だ。「恋愛ゲーム作家兼研究者」も悪くないけれど、私は恋愛ゲーム作家である自覚も研究者である自覚もあまりない。ゆえにしっくりこないのだ。

そう思うと、表現者という肩書は、あながち悪くないかもしれない。ただし名乗るには勇気、いや覚悟が要る。私のなす表現は、私の名の下に表現されたものであるという契約を意味するからだ。極端にいえば、医者が医療行為をするのと同じ。医療行為は医者にしか許されず、医者は医療行為に責任を持たなければならない。同じく、その表現はその表現者にしか許されず、表現者はその表現に責任を持たなければならない。

小説家になりたければ、小説家を名乗れば良い。と、小説家の森博嗣先生は仰る。医療行為は法律によって制限されているけれど、創作や表現の自由は憲法によって保障されている。つまり無味乾燥の自由の中に自分なりのルールを設けることが、表現の第一歩ともいえる。表現者を名乗ることは、一見すると奔放な自由の表明のようでありながら、その実はかなりシビアな覚悟を自分自身に課しているように見える。

@radish2951
恋愛ゲームをつくっています。毎日21時頃にエッセィを更新しています。恋愛ゲーム『さくらいろテトラプリズム』をよろしくお願いします。 daiki.pink