何度生まれ変わったって絶対に就くことのない職業のひとつが看護師である。看護師はすごい。患者のために、患者が生きるのを助けるために、ありとあらゆることをする。身内にも看護師がいる。献身的というか、友好的というか、とにかく、困っている人を助けるのが看護師の仕事なのだろう。他人を手助けしたい、という気持ちが私には一切ない。看護師として働いている人、あるいは看護師を目指して学んでいる人が、ほんとうにたくさんいる。私には理解できない世界だ。ほんとうに、すごい。
看護師から学べることがあるとすれば、それは「他者」の存在だろう。たったひとりで看護をすることはできない。患者が、困っている人がいて初めて、看護という行為が成立する。ここが、創作と大きく違う点だろう。創作は、自己満足の世界だ。つくりたいものをつくる。それがすべて。いいねを集めるとか、インフルエンサーになるとか、そういうことは、創作じゃなくてもできる。というか、創作はその点においてコスパが悪い。
ただし、つくったものを誰かに見てほしい、という気持ちも無視できない。ビジネスとしてやるなら必須だ。お客さんがお金を払ってくれなければ、ビジネスとして成立しない。自分のためにつくるのか、他人のためにつくるのか。創作をする人なら、一度くらい考えたことがあるのでは。
孤独になろうとすればするほど、他者という存在が浮かび上がる。人間はひとりでは生きられない生き物だからだ。そう思うと、看護ほど人間的な行為はない。弱さを抱えた人間が、ほかの人間に助けられる。創作は、その対極にある。自然の摂理に背くように、たったひとりで、新しい世界を築き上げる。同時に、どんな天才クリエイターも、人間であることからは逃れられない。AIがいくら絵柄や文体を模倣しても、その人がかかなければ、つくらなければ、意味がないのだ。
なんて思索を巡らす間にも、看護師の人たちは忙しく働く。看護師を目指す人がいるおかげで、生きていける人がいる。まったく、途方もない世界だ。命を預かる途方もなさと、命をつくる途方もなさ。真逆を向いているようでいて、案外似ているのかもしれない。