ひょんなきっかけから、今年の7月から研究職として働くことになり、この3日間は名古屋大学で開催される学会に、業務の一環として参加していた。一応、大学時代の研究と関係するポジションであるけれど、私は学部卒であるし、いわゆるアカデミアで勤めていたことはない。本来なら研究職に就くような人間ではない。不思議というか、ありがたい話だ。
学会というものにも初めて参加した。雰囲気としては、インディゲームのイベントに似ていると思った。私のことを知らない人に説明すると、私は一応、インディゲームクリエイターとして活動している。5年ほど前からゲームをつくり始め、3本をリリースした。シナリオライターとして仕事をさせていただいたこともある。今も新作をつくっているけれど、就活や、急ぎ対応しなければならない案件で忙しく、あまり進んでいない。せめて、という気持ちもあり、こうして毎日エッセィを書いているけれど、知らない人が見れば、毎日日記を書いている変な奴に見えるだろう。
個人または少人数で制作されるゲームはインディゲームと呼ばれる。最近だと『8番出口』とか『都市伝説解体センター』あたりが有名だと思う。ここ数年はインディゲームが熱いらしく、いろいろなイベントが開催されている。私も何度か出展した。出展者もお客さんも、ゲーム好きの方がたいへん多い。私の作品に興味を持ってくださる方もいらっしゃった。とてもうれしいし、たくさんの方とお話しできるのは楽しい。
インディゲームといっても、その中身は様々だ。私がつくっているのは、ノベルゲームやビジュアルノベルと呼ばれる、物語を楽しむゲームである。特に恋愛をテーマにしたものは、男性向けであればギャルゲー、女性向けであれば乙女ゲームと呼ばれたりする。もちろん、これ以外にもゲームのジャンルはたくさんあり、たとえば、パズルゲームも立派なゲームであるけれど、パズルゲームとギャルゲーは、もはや全くの別物だろう。かつて映画監督を志していた私としては、映画やアニメや舞台をつくるような気持ちでゲームをつくっている。ということもあり、インディゲームクリエイターの中央値からは、かなり離れている自覚がある。
だから、インディゲームのイベントは、お客さんと交流できるという意味ではとても楽しいのだけれど、正直なところ、馴染めないところも多い。極端に言えば、私はゲームに興味がないのだ。ゲームを手段としてしか捉えていない。ゲームが好きでゲームをつくっている人から見れば、やる気や情熱が欠けているのかもしれない。
似たようなアウェイ感を、学会でも感じた。私の専門は、バイオインフォマティクスという分野である。DNAとか遺伝子とかゲノムとか、そういったものを研究する学問だ。一応、それなりに興味はある。研究者としてのキャリアにも興味があり、すごい論文を書いて世界をぎゃふんと言わせてやりたい気持ちもある。だから、いろんな発表を聞くのは楽しいし、刺激になる。それでも、なぜか、馴染めないのだ。
さっきも書いたし、ここにも何度も書いているけれど、学生時代は映画監督を目指していた。映画を撮りたかったし、実際に撮っていた。大学院を休学して、映画制作に専念したこともあった。それくらい強く望んだ映画の世界でさえも、やはり、馴染めなかった。
そうやって、ずっと居場所を探してきた。けれど、たぶん、居場所はないのだと思う。これだけたくさんの機会に恵まれ、たくさんの人に出会ったのに、居場所だと思える場所を、いまだに見つけられていない。
きっと、そういう人間なんだと思う。落ち込んでいるわけではない。むしろ、ワクワクしている。映画も、ギャルゲーも、バイオインフォマティクスも、私としては、あまり違うことをやっている感覚がない。と言って、共感してくれる人がどれだけいるだろうか。私の興味は、具体的なジャンルであらわされるものではない。もっと抽象的で、雲みたいにふわふわしている。それを言い表す語彙は世界にまだない。あえて言えば、創作とか研究という言葉になると思うけれど、それでは抽象的すぎる。つまり、世界に存在しないものを追いかけているから、同志が簡単に見つからないのは、むしろ当然といえる。
少し前までは、居場所のなさが本当につらかった。自分という存在の置き場所がなかった。どこで生きていけば良いのかわからなかった。今は、少しずつわかり始めている。そういう人間なのだという事実を、受け入れる以外に選択肢はない。居場所はないかもしれないけれど、寄り添ってくれる人はいる。居場所を求め過ぎるあまり、そばにいる人の存在を見過ごしていた。雲がふわふわ浮いているのは、空という場所があるからではない。上昇気流があり、高度による気温差があり、空気中の微粒子があり、川があり、海があり、そして、雲を眺める人がいるからだ。雲は、地上から見れば空にあるし、空から見れば地上にある。居場所なんて、それくらいのものでしかない。