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このへんが限界なんだろうな

池田大輝
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公開:2026/7/13

クリエイターとしても、それ以外としても、このへんが限界なんだろうな、という感覚がうっすらとある。これ以上伸びることもなければ、これ以上売れることもない。才能なんてものは最初からなく、大した努力もしていない以上、この先もぱっとした結果を出せないまま終わるのだろう。

という気持ちをよそに、人生は少しずつ進んでいる。創作活動に関しては、今後3年くらいの計画をすでに立ててある。出会う人も増えてきたし、初めての国際学会にも参加している。客観的に見れば、少なくとも絶望するような状況ではない。

ではこの停滞感はいったいなんだろうか? まあ、調子が良いと勘違いして調子に乗るよりかはマシだと思う。調子が悪くても、淡々と続けることのほうが大事である。そんなことはわかっている。増え続けるが、上限が決まっている関数というものがある。シグモイド関数はその一例である。あとは、増え続けるし、上限もないが、増えれば増えるほどその増加率が小さくなっていく関数もある。たとえば、対数関数がこれにあたる。実際のグラフを見てもらえれば、言いたいことが伝わると思う。

なんだか、小難しい話を書く気にもなれない。数式の比喩を持ち出して、理系っぽくてすごいね、と言われても全然うれしくない。すごいとかすごくないとか、そういうことはどうでもいい。宮沢賢治は生前、ほとんど評価されなかったと聞く。死後に評価されることが良いとも悪いとも思わない。仮に自分がそうなったとして、そうですか、と思うだけである。

有名になりたい、売れてお金を稼ぎたい、という気持ちはそれなりにある。ただし、これらは手段に過ぎない。お金が有り余っても仕方がない。もしそうなったら、新作やスピンオフ企画を打ちまくるだけである。自分のゲームに出た全キャラクターについてスピンオフをやってみたい気持ちがある。スピンオフは、なんとなく趣味に合っている。人にはそれぞれの人生があるということを思い出させてくれる。

以上が、うっすらと感じている停滞感について、その正体を解き明かそうとしてみた軌跡である。なんだか余計にわからなくなってしまったような気がするけれど。いずれにせよ、創作活動を辞めることはないし、人生を放棄するようなこともたぶんない。それはポジティブに生きるという意味ではない。あえて卑屈になる必要はないが、同じくらい、あえてポジティブになる必要もない。要するに、ただ生きていくくらいしかできないのである。人生はシグモイド関数でもなければ対数関数でもない。どんなグラフだったのかを死後に論じても意味がない。少なくとも、それくらいはいえる。あるいは、それくらいしかいえないのである。

@radish2951
恋愛ゲームをつくっています。毎日21時頃にエッセィを更新しています。恋愛ゲーム『さくらいろテトラプリズム』をよろしくお願いします。 daiki.pink