もしAIがこの文章を書いたらタイトルと矛盾する。だからAIはこの文章を書けない。
という推論は間違っている。矛盾しているかどうかはこの文章においては重要ではない。これは数学ではないし、数学においても矛盾許容論理という論理体系があるくらいだ。矛盾という言葉に、神に背くような大袈裟な意味はない。
AIは、もしかしたらこれと全く同じ文章を書けるかもしれない。絶対に不可能だと言い切れる根拠はない。ただし、言えることがあるとすれば、AIにはこの文章を書くモチベーションがない。AIは基本的に言われたことしかできない。サラ・コナーを殺せと言われればサラ・コナーを殺すし、ジョン・コナーを守れと言われればジョン・コナーを守る。ミッションに伴う付随業務も行う必要があるが、付随業務の範囲を特定するのは結構難しい。世界を平和にせよと命令されたAIは人類を滅ぼすべきか?
この記事が公開された時点で、これと全く同じ文章は、あなたが読んでいるまさにこれ以外には存在しない。ちゃんと調べたわけではないが、確率的に間違いないだろう。だとすれば、もし仮にAIが恐るべきクリエイティビティを発揮して、たまたまこれと全く同じ文章を生成したとしても、それはこの文章の複製でしかない。要するにパクリであり、著作権侵害である。だから、AIはこの文章を書けないし、そして、AIに限らず、私以外のすべての存在はこの文章を書くことができない。書いてはいけないのだ。神に背かずとも崇高であることはできる。創作とは、そういう行為だ。