最近は一次創作のノベルゲームの打ち込みをよくやっている。 なんでもいいから創作という形で自己表現したい。昔は二次創作の小説を書いていた。正直絵より評判良かった。あの時から続けていること、これはやっていていいな、みたいなヒューリスティックス的なことを書いていきたい。
今作っているのと、昔作ったノベルゲームでの反省点とか残しておきたいこととか備忘録代わりにしてみる。
基本は大事
とやかく言ったところで大事なのは基礎だ。型無しではなく型破りを。
ノベルゲームのテキストを書くのだから、適当に小説の書き方とかで検索して一番上に出てくるサイトくらいは頭に入れておく。
三点リーダーは二つ続けるとか、そもそも「…(三点リーダー)」と「・・・(中黒)」の違いが分かっていないだとか。記号の後と段落変えた後は1マス開ける。小学校で習うような基本のことはノベルゲームにせよ小説にせよ応用できる。
読みやすい文章を作る
これも基本のことだけど、私がここで未来の私に向けて説明するより、ブックオフかなんかで文章の書き方みたいな本を買って読んだ方がいい。私は就活の小論文の本を読んだ。図書館で借りた。0円。
オタクは漢字検定準二級取れるけど一般人を想定して漢字をひらく癖(難しい字を使わない)をつける。そういう作風でない限り「此処」とか「迄に」とか不要である。読みづらいよね。漢字ばっかで目が滑る文章は目に留まらない。オールドメディアが漢字をひらくのには、ちゃんとした理由がある。
特に私がやりがちなのは動詞が二つ続く場合。(複合動詞というらしい)「走り続ける」より「走りつづける」の方が見やすい。らしい。
他には主語と述語は近づける。英語の授業でも頭でっかちを嫌うから仮主語とかあったし全世界共通なんだろうか。 「あなたが飼っていた犬がつけていた首輪の持ち主はあなたの友人の姉が昔買ったものです」みたいな文章があるとして、もう分かりづらいことこの上ないので、文章を二つに分けるか、順番を変えたり、単語を置換してみる。
流行には敏感になる
これは好き嫌いがある、けど現代のスタンダードになる概念にあえて逆らう必要はないと思う。「女は家事だけしてればいい」って言わせるとかいわゆるオカマキャラをギャグ要因の為に作るとか。人が簡単に変えられない容姿、生まれ、学歴みたいなものを貶す展開や、逆にプラスだからって過剰に持ち上げるのもやりがちだが止めた方がいい。
個人的にはHLが当たり前で最高だよね、と再確認させる展開は好きじゃない。当たり前なら確認する作業は不要なはずだ。こういったジェンダー論以外にも、変化していく「普通」には情報収集と割り切って接した方がいいと思う。若者を表現するためには匿名掲示板漁る男よりtiktok見てる方が、より「らしい」よね、みたいな。でも、触れていてどうしても苦手なものには無理して触れなくていい。私は政治の場で繰り広げられる怒鳴り声と一人を徹底的に問い詰める様子が苦手なので、あまり触れない。
キャラを世界に馴染ませる
上手く言えないけど現行制作ゲームで最も引っかかっている部分。キャラが舞台、世界に馴染んでいない。無駄に仰々しかったり、説明口調の台詞で起こりがち、見つけ次第直してるけど次々発見される。どうやらキャラが作者のパペットになってる割合が強いのが原因の模様。例示が難しいけど
「ああ! なんて私は不幸なんだろう。どうして彼女を助けられなかったのだろう。あれだけ愛していたのに」
みたいな台詞をそこらへんの村人が言ってたら怖いよね、みたいな話。
演劇チックになっている。
キャラらしさ重視よりわかりやすさ重視
作ったキャラに愛着が湧きすぎて、XXはそんなことしない、行動倫理に反していると制限を作りすぎると制作がどん詰まりになる。ある程度展開に犠牲になるキャラも出てくる。対極に位置する4番の作者の操り人形になっていないか、ということと相談しつつ、ここまではいいだろとラインを攻めていく。
今後も追加されるかもしれない。