公務員は色々崩壊しているなと感じた話

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特に特定の公務員が悪いとかそういうことでは全くなくて、むしろ公務員は大変そうでもうシステムとして崩壊している中で色々やっていて大変そうだなという話。

何か大きな事件、例えば能登の地震とかが記憶に新しいけれど、そういうのがあると必ず国のやり方が悪いっていう声は出てくる。実際よくないのかどうかは別として、対応する公務員としては多分限界こえていてもう無理なんだろうと思う。そういうなかでギリギリあれだけの対応をしているのだから、仕方ないかなと感じている。

「45都道府県で「採用予定数割れ」 公務員不足、急速に悪化」

こんなニュースもある。客観的に見て、おそらく公務員は不足している状態にあるのだと思う。X(旧Twitter)で霞ヶ関勤めと思われる人の投稿は、どの人も環境のひどさに溢れているように見える。いや不満なく働いている人はわざわざ投稿なんてしないから、バイアスのかかった観測ではあるのだろうけれども。

しばらく前、とはいってもまだ最近、といっても差し支えないぐらいの時だが、公務員の採用面接を受けた。何回かに分けて数人にあったのだが、どの人も疲れ切った表情をしていて余裕がなさそうだった。労働環境について質問したが、どの面接でも激務であることが強く強調された。その割にやりがいなんかは強調されることはなかった(されていたらいたでそれはブラック企業ぽいが)。印象的だったのは、仮に病気等で抜ける人がいた場合、それをバックアップする体制があるのかと質問したら、「何とかいる人で回す(要約)」という回答だったことだ。要するに厳しい現状があるのは理解しているが、それを変えるつもりも変える余力もない、という状態だということで、私にはこれは死にゆく組織だ、という感想しか抱けなかった。

公務員では、特に上記のは中央の国家公務員での面接の一幕だが、募集をかければいくらでも若くて健康で優秀な人材が応募してくるので、それでよいのだろうと感じた。若くて健康で優秀な人材を採用し、それがすりつぶれるまで使い潰すのだ。使う人間の数が少なければ少ない程払う給料の総額も少なくて済むし、意思決定や行動も、優秀な人間であれば大量の人間が関わるよりも迅速でよい結果を一定水準までは残せるだろう。これは国家公務員以外にも、募集をかけさえすれば有名大学から応募が履き捨てる程来る大企業もきっと同じじゃないかな。

しかしそういった使い捨てはもうすぐ終わる。もう終わっているのかもしれない。使い捨てが報われないと感じた人間はどんどん離脱し、あとに残っているのはすりつぶす側か、よほどのお人好しか、逃げ遅れた要領の悪い人間か。今はまだ何とかよほどのお人好しが能登の地震の対応なんかをギリギリやっているのではないかと思う。でもそういう人達が力尽きれば終わりだ。公務員の労働年齢ピラミッドを何かで見たけど、その時にあと10年か15年ぐらいかな、と何となく計算した。公務員だけでなく大企業でも、今何とか変化が見え始めているところがギリギリじゃないかな。

まあこういうこといえるのは私が社会に対して何の責任もないからなのかも知れない。社会をもっとよくしたいとか、もっと報いたいとかも思っていない。もっと自分に余裕があったらそういうこというかも知れないけれども。

特にオチはない。みんな身体に気をつけて幸せに過ごしてくれ。

@rainy
たぶん誰も見ていない