ソシャゲからの脱却

らこ
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久しぶりにアニメや映画を観る日を意図的に作った。

だらだらとYouTubeやソシャゲをやってしまう時間をずっと気になってた作品を鑑賞するのに充てたほうが精神衛生上良いのではとうすうす感じていたからだ。

何かの作品には必ず終わりがあってそれは寂しくもあるけど同時にそれをやりきった、観たという満足感をもたらしてくれて自分の中に(ただ座って観ていただけにせよ)何かを行動して終わらせたというまるで宿題をやった後のような解放感が好きなのだ。

が、

特にわたしの遊んでいるソシャゲはそのゲームの仕様上、話も終わっていない為自分の意志でクリアできないので延々とやり続けなければならないことがストレス…とまでは言わないが先に書いた解放感やり切った感が何年も得られていない状態が結構しんどかったのだと先日はたと気付いた。

何故気付いたかというとここ1、2年で遊ぶソシャゲの数が増えたからだ。

それまであるひとつのゲームだけ延々と遊んでおりそれだけならまだ良かったのだが、自分の環境が整い今まで遊べなかったものも遊べるようになったのをいいことにずっと前から気になっていた作品や大好きな作品を元にしたものを遊びはじめたら当然のごとくノルマや日課を複数分こなすことになり時間があっという間に足りなくなってしまった。

時間が足りないもっと遊びたい!という感情ならまだしもこう複数あるとまだ終わらないのかもう寝たい疲れたという感情が湧いてしまい、いやもう楽しむ為のゲームなのに何をやっているんだ状態になってしまった。

3つのゲームを掛け持ちしているだけで私は息切れしてしまったのだ。

私はひとつの事に集中するのが好きなタイプなのだがソシャゲとこの特性は相性が悪い。コンシューマーゲームのようにプレイヤー側で区切りや遊ぶ時間期間を自由に選択できない為常に平行作業を強いられるからだ。

じゃあやめればいいのだが、それができればこんな文章を書いていないのである。昨年は一つのゲームだけに集中し他はほぼ遊んでいなかったのだが、その結果遊んでいなかったゲームは再開した時遊びにくい環境になってしまった為若干後悔している。しかし心地よさ楽しさではなく義務感でやる遊びが楽しい訳があるはずもなくそれで私は一体何を得て何を失っているのかきちんと見直さなければと思った。

自分に楔を打つためにソシャゲをする時間を他のもっと楽しい、やりきったと思うものに充てていかねばなと最近強く思うのである。

@rako003
余白がすきです。