幸せになるのは簡単だ。
掃除してぴかぴかの部屋を眺めること。
蜂蜜たっぷりのミルクティーを飲むこと。(茶葉は100パック500円のもので充分)
お気に入りのぬいぐるみを撫でたり、抱っこすること。
美味しいご飯を食べること。
本屋さんに行くこと。
絵を描くこと。
綺麗な川のせせらぎをぼーっと見ること。
お気に入りの神社仏閣に行くこと。
誰かに優しい言葉や対応をしてもらえた時。
電車の車窓を眺めること。(でも乗り物酔いしやすい)
大好きな推しさんの公演やご本人に会えるイベントに行くこと。
毎日すぐにできるものからそれなりのお金や時間が伴うものまでさまざま。
問題はそれが生きる苦しみを解消するまでにはならなかったり
その瞬間は幸せでも終わってしまうとその後余韻でずっと幸せならいいのにそうはならないからだろうか。
そう、余韻が続かないのだ。
幸せだったなと浸れればいいのにどうにもそれができない。
昔はもっとできていた気がする。楽しい思い出を何日も反芻して一か月くらい夢見心地だった気もする。余韻に浸りまくりである。
それが何故できないのか。
まあ色々あったのだ。
仕事や私生活で冷や水を浴びるような事があり、その事象自体は過ぎ去ったのだが傷が癒えず一年くらい心療内科に通院してある程度は改善したが元通りとはいかず
苦しい事象に今だ余韻に浸りまくりで苦しいという訳だ。
うーん同じ浸るなら楽しいほうに浸ればいいのに。自分でもそう思う。
小さな幸せを繰り返して苦しみを誤魔化しながらなんとか這いずって生きている。そんな日々だ。
幸せになるのは簡単だ。
幸せになり続けるのは難しい。
今日も幸せだったを積み重ねて。