武勇伝をよく語る人は承認欲求と寂しさを抱えている人だ。
怒らないと言われたい放題の都合のいいひとになってしまう。
怖いと思っていたことを実際にやってみると、案外なんとかなる。
相手にわかってもらうことが大切なのではない。自分の想いや気持ちを伝えるために行動を起こしたことが大切だ。
何ができるかではない。自分がどう考えるかだ。
仕事に関して厳しい人は、ほんの少しの隙でもあると不安に感じる。だから努力して埋めようとする。すなわち、繊細な人だ。
仕事に関して厳しくない人は、「何が起こってもなんとかなるだろう」と思っている。すなわち、豪胆な人だ。
実は話を聴いている人のほうが人格的にうわてだ。
問題視するから問題になるのであって、問題は実は問題ではないかもしれない。
お金を持っても大して変わらないが、仕事がないと恐怖が強くなる。
すぐ怒る人は二通り。認めてほしい人か助けてほしい人。あるいはその両方。
覚悟を持った人はもともと無責任だ。責任感を持つために覚悟を決めるのだ。
工夫とは「こうしたほうがいい」と思ったことを実行すること。何も難しいことではない。
嫌いな人は、自分の親の嫌いな部分をたまたま前面に出している人だ。
「お前のためだ」と言う人は、自分のためにそう言っている。
「お前が説教されるようなことをするのが悪い」と言っている人は、回避傾向が強い。人のせいにしているからだ。
覚悟を持った人が欲しいと言う人は、精神的に追い詰められている。どんなことがあってもブレない、頼れる人が欲しいからだ。
実際に仕事というのはやってみないとできるかどうかはわからない。それでも「やります」と言って引き受けてくれる人を人は求める。人はそれを「覚悟を持った人」と格好をつけて表現する。
悩める人の相談に乗り、ひらめいたアイデアを伝えた。しかしそのアイデアは相手もすでに気づいている。すぐにひらめくアイデアでは解決しないから悩んでいるのだ。
「見ればわかるだろ」という論拠はまったく意味がない。見てわからないから質問しに来ているのだ。
人に嫌われたければ、おせっかいに物を教えるといい。教えたがりは嫌われる。
人に好かれたければ、人の話を聴くといい。人は話したいことを話しているときが一番楽しい。
社会には、競争の世界と協調の世界がある。競争は誰もがイメージするサラリーマンや一般企業、個人事業。協調は福祉や教育、介護。競い合うのか、寄り添い合うのか。自分にはどちらが心地良いか。
実際に話を聴いてみないと相手のことはわからない。
わかった気になっている状態は、無知に近い。
もがいてあがいて頭を打って、つらい思いをした人間が、一番最後に頼りになる。