カウンセリングに行くのをやめることにした。
多分初回に言われた「ご自身の適性をきちんと把握して仕事や生活ができているんですね」「言語化がよくできていますね」というコメントが、きっと普通の人は嬉しくて、でも私はこれにすごく傷ついていることにひと月経ってようやく気づいた。
それって私が死にたくなるくらい必死に努力した結果なだけで、本当は頑張らない方がよかったと思っている。たぶん、本当はきっと耐えられないくらいの辛さを20年くらいでぎゅっと味わって、その先がもう全部余生になっちゃってる。
そんな人間に、今までの対応が、分析がパーフェクトだなんて言わないでよ。
私の人生、あまり逃げるという選択肢がなかった。ないか、逃げた先がもっとひどいとわかっていたから、生きるっていうのは戦い続けることだった。
実際逃げていいって言うけれど、逃げたその先の責任を取ってくれる人がいるのはすごく恵まれていて、私は逃げることを許されなかった。
だから私が生きているのは逃げなかっただけで、逃げるというのはきっと死ぬことだ。
ずっとある希死念慮を押さえ込むためにいろんなことをやってきた。今は買い物。自分と家を装うことにだけ興味がある。
まだ仕事ができている。仕事をしていれば毎月一定の収入がある。まだ、借金はしていない。
まだ私は医学上もなんの問題もない。依存症でもない。私は何も破綻してない。大丈夫。
本当は大丈夫なうちになんとかなりたくて、でも大丈夫じゃならないと人の手を借りることはできない。その時借りたとして、生きていける?どこまで逃げられる?
大丈夫であり続けなければという呪いがあって、私はそれに突き動かされている。
解放されたい。