自分の生まれた日を意識するだけで感傷的な気持ちになるのだから僕も単純な知性体だ。あらゆる瞬間に生と死を認識する精神、よく準備された精神にとって、感傷に浸る余地など人生に在りはしない。時間は存在しない、ということを理解するのでなく直接的に知る心にとって、過去と未来は等価だからだ。しかし僕は未だその域にはない。三十歳の一年に通過した生と死が記憶の縁にこびりつき、短期記憶から零れ落ちる瞬間瞬間に毎回さよならを言わねば済まないような気分で日々を生きている。この積み重ねは果たして人生と呼びうるものになるのだろうか?