何かをやめた話

ravelll
·

下記のポストを見て面白そうだなとなり、いっちょ書いてみるかとなったのでした。

ravelllがこれまでにやめた活動

  • 暗算(検定)

    • 実家のあるあたりには昔そろばん塾があって、町内のキッズたちは小学校4年生くらいになると通うのが半ば地域のしきたりになっていた。当然僕も通った。このそろばん塾では回の終わり15分前から全員で暗算バトルをするのが通例になっていて、当時の僕はここでの勝利を無上の喜びとしていた(今にして思えばこの暗算バトルの日々が負けず嫌いの気を確固たるものにしたのかもしれない)。古びれた公民館で戦いを繰り返す中で、いつしか目線は町内のキッズたちから検定試験(日本珠算連盟の珠算検定・暗算検定)に向いていた。この検定に合格するとメダルがもらえるのだけど、これがまた少年の熱を煽った。2級、1級と検定試験に受かり、周りの友人達が6年生になり退塾していく中、脇目も振らず段位認定試験に挑んだ。が、結局準初段より上に進むことが出来ず、何度かの段位認定試験で熱も冷めきり、たしか中学1年生になって少しした頃に辞めてしまった。

  • 吹奏楽

    • 中学生の頃、吹奏楽部に所属していた。小学生の頃に音楽部(とても小さな小学校だったこともあり部活動が"運動部"と"音楽部"の2つしかなかった)に所属していたこともあり、同じ町内で吹奏楽部に所属していた先輩から中学にあがったら吹奏楽部に来なよと言われていた。先輩の助言があったことに加え、男子バレー部の体験入部でさせられた走り込みに心をバキバキに折られたこともあり、吹奏楽部への入部を決めた。入部後は楽器選びで無事にじゃんけんに負け、第1希望だったアルトサックスを横目に希望者がいなかったユーフォニアムを担当することになった。消極的な導入ではあったものの、いざ本腰を入れて練習すると次第に愛着も湧き、厳しい部活ではあったが大人数で音楽をすることは間違いなく楽しかった。が、土日の時間を割いてまでのめり込める程の熱量は持てず、退部しても角が立たない最速のタイミング(中3の前半くらい)で退部した。

  • ゲームセンターのバイト(1)

    • ゲームセンターのバイトは2箇所でやったことがあるのだけど、最初にやった方の話。大学入学に合わせて上京した後しばらくして、当時住んでいた部屋の近くにあったゲームセンターでバイトをすることにした。近場の中では時給が高く、故に求人の倍率も高いと聞いていたので、採用の連絡を受けたときには小躍りするほど嬉しく、少し誇らしい気持ちになったことを覚えている。が、そんな悦楽もつかの間、いざ仕事を始めてみるとマア〜↑これが仕事ができず、加えて他者とコミュニケーションを取るのも苦手だったので、老若男女(老いた人は居なかったので壮若男女とでも言うべきか)和気藹々としたスタッフたちが集まる職場の中、4コマ漫画に比肩する早さでその輪から外れることとなった。ときには社員さんから「仕事の出来が終わってるからもっと頭使って」というようなことを3重のオブラートで包んで言われたこともあった。苦しい日々だったが、そんな中でも"少なくとも1年経つまでは絶対辞めない"という意志が何故か当時の僕には強くあり、結果1年が経ったその日に辞めた。

他にも辞めたことは大小色々あるだろうが、昔のことを思い出してとりあえず3つ書いてみました。