2023年が始まった頃は、とにかく疲弊していた。2022年中旬〜下旬にかけて仕事上のチャレンジ(強要や理不尽の類は一切無かったことは付記しておく)と初めての副業を同時に行った結果、キャパシティを超える負荷が数ヶ月かかり、多少の連休では回復できない精神疲労を抱えるに至った。
これを回復すべく、また以前から持っていた興味を満たすべく、転職活動もすることなく2月末でそれまで所属していたリクルート(Quipperからの転籍)を退職し、しばらく気ままに過ごすことにした。Quipperには2019年6月に入社したので、足掛け約3年半の在籍だった。本当は1月末に退職するつもりだったが、12月に会社の退職手続きを確認したところ選択可能な最も早い退職日が2月末日だった(会社の退職手続きは退職の意志がないうちから確認しておいたほうがいい)。"以前から持っていた興味" というのは無職をするときに受けられる補助や年金・保険料等の変動、無職という環境下に自分を置いたときの心情の変化、などについての興味です。退職前にオフィスが目黒から九段下に移転したけど、基本的にリモートワークだったので2回しか行かなかったな。1回くらいゆっくり見て回ればよかった。
無職期間は定期的にハローワークへ通うことを除いては基本的には気ままに過ごしていた。あまりに気ままに過ごしていたので任意継続していた健康保険の資格を喪失して保険料が跳ね上がり寝込みもしたが、多数派の生活リズムから外れて過ごす東京はなかなかに快適だった。平日昼間からゲームセンターに行ったり、朝食を家でとったあとに読書をしにカフェに行ったり、空いてる風呂とサウナに入りに行ったり、たまに手の込んだ料理をしたりした。こう書き出すと小規模な日々だったのだなと感じるが、とても充足していた。腰を据えてピアノを弾くぞと年初に意気込んでいたけど、結局あまり弾かなかったな。たまたま長期休みの時期がかぶった友人たちと突発で仙台旅行に行ったりもした。
気ままに過ごしてはいたが、程なくして、ある程度の準備が必要なイベントや単発の仕事がぽつぽつと入ることとなり、また元々やりたいこと(まだ見ていなかったリコリスリコイルを一気見するとか)も多くあったため暇をすることは全くと言えるほど無かった。時期によってはフルタイムで仕事をしていた頃よりも余裕の無い日々を過ごした。おかげで元々やろうと思っていた勉強はほとんどしないまま再び職に就くことにもなったが、それと引き換えに得難い体験も多くできた。生活から余白が減ることでこの長期休暇の主目的であるエネルギーの回復が不十分になりかねないことだけが不安だったが、これを書いている現時点で約3ヶ月の間、大きな問題なく仕事をできているので杞憂だったと思いたい。無職期間は最終的に7ヶ月だった。
無職になると世間への後ろめたさや疎外感、そこから派生して停滞感を覚えたり貯金残高が減り続けることに強い恐怖を感じて、あまり間を置かずして定職を探さずにはいられなくなる人も少なくないという話も聞くが、そういった感覚に襲われることは終ぞ自分にはなかった。これは恐らく定期的に知人が集まるイベントがあったことや半年以上の無収入に問題なく耐えられる貯金残高がある中で無職を始めたこと、ソフトウェアエンジニアとして働く分には再就職先が見つからないことはないと思える程度の知識・経験があったことなどが背景にあったからこそで、それらが無く数ヶ月のうちに生活の地盤が揺るぐ可能性がそこそこあるような状況で無職を始めたら違ったと思う。今回はフル装備無職を体験したに過ぎない。
転職活動はあまり同時並行に進めたくなかった(疲れる)ので1社ずつ直列に進めた。応募は以前から声をかけていただいていてかつ面白そうな会社と、気になっていた会社をそれぞれ1社ずつ受けた段階で、ありがたいことにそれぞれの会社からオファーを頂き、後者であるところのMODE, inc.(以降MODE)に入社することにした。どちらに入社するかは入社した後により自分が能力的に困りそうな方を選んだ。実際どちらのほうが困るのかは同時に両方に所属しないことには分からないが、少なくとも悪くない選択だったと感じる程度にはチャレンジングな状況にある。頂いていたオファーを断る連絡を今回の転職活動で初めてしたが、極力もうやりたくないな…。
"迷ったら困る方"の意思決定は、自分がコツコツ学習や研究を積める方ではない中でも知識をつけていくための戦略で、つまりは学習への圧力を自分の外に求める手法だ。これまでにも何度かこの戦略を採ってきた。そのおかげで学べたことも多くあるが、ここ最近はあまり安易に採ってよい戦略ではないなと感じる。僕は大変な状況でも快活に過ごし続けられる方ではなく、大変であることがじわじわと身体の節々から滲み出てしまう方なので、生活を共にしている妻にはリラックスして過ごせるべきリビングを平日帰宅時間帯の中央線下り電車のような淀んだ空気にすることがあり申し訳なく思ってきた。これだけが理由ではないが、この一点のみにおいても、学習機会に全振りする選択は今後より慎重に採るべきだし、しなくて良くせねばと感じる。家族で優勝したい。
入社してからはOnboardingを受けた後、小さなタスクをこなしたり、会社で新たに使うデバイスを活用するPoCを実装したりしていた。そういえば社内に大MongoDBが鎮座していて、通い詰めた飲食店の引越し先に訪問して店内の一角にふと目をやると見慣れたモニュメントが佇んでいたときのような郷愁を感じた(まあ僕は前職で大MongoDBを直接参照するサービスの開発にほとんど携わることがなかったのだけど)。最近はある新規機能の開発プロジェクトに参加しており、主にPythonを書いている。入社してこの方、どの方角を向いても自分がこれまでProduction運用レベルでは慣れ親しんでこなかった言語、ソフトウェア、サービスが使われていて(そうでないのはReact、TypeScriptくらいだろうか)新卒の頃を思い出す。当時と比べると今の状況は自身の能力的にも環境的にも(ChatGPTとか)強くてニューゲーム感があってワクワクするな。期待される成果物の大きさも当時と全く違うが。写真は最近の自宅のデスク。入社時に手当が出るとのことだったので5K2Kディスプレイを購入した。最高。左のディスプレイはゲーム用で普段は使っていない。
MODEは公用語が英語で、実際Slackでのやり取りやドキュメンテーションに日本語を使うことは少ない(多少はある)。今は日本語話者しかいないチームに所属しているのでチームのミーティングは日本語、英語話者を含むその他のミーティングは英語という状況。これまでのところ幸い致命的には困る場面はなかったが、やはり日本語に比べるとパフォーマンスは落ちてしまう。多少落ちるのは割り切るしかないと思うが、特にスピーキングはパフォーマンスの低下が著しいのでなんとかしたい。インプットもアウトプットも足りてないと思う。ネイティブキャンプのカランメソッドが気になっているのだけどどうなんでしょうね。
2024年はソフトウェアエンジニアとしていい感じにやっていくことを最優先しつつ、もう少し違った生き方も模索したい。直近の10年は基本的にフルタイムのソフトウェアエンジニアとして生計を立ててきた。労働条件や業務内容への関心、業務の楽しさ等々を考えた時に、自分にとってソフトウェアエンジニアよりも良さそうな職業は今のところ見つけられていないが、フルタイムで働くことは自身の幸福を最大化する上で妥当なのか?という疑問は以前からあった。これは週あたりの労働時間を減らしたいという話ではなく、例えば週3日はソフトウェアエンジニアとして仕事をして、週2日は何か別の仕事をする、といった話だ。現時点でこの週2日分の仕事になりうるものは見えていないが、2022年にはプロゲーマー、2023年にはプロリーグの実況解説をやった経験を足がかりとした何か、は自分が持っている数少ない "なりうる" ものだと思う。いきなり来年からフルタイムのソフトウェアエンジニアをやめるということは無いと思うが、機を得るための適切な準備はやっていきたい。あとこれは来年よりも未来の目標になりそうだけど、人間以外の生き物も家族に迎えたい。