15時前を指す時計の針の音。その上に、ナイフとフォークのやたらカチカチと耳障りな音が重なり、実際の数倍不快な不協和音を俺の耳へと響かせる。
俺は真正面で美味しそうにハンバーグを頬張るその男を、皺の寄った不機嫌顔で睨みつけた。
「……どういうつもりだよ」
「ん?ハンバーグ美味しくない?僕のお気に入りのお店なんだけど」
その男はとぼけたように首を傾げて、手に持つフォークに刺さった大きなハンバーグの欠片を、美味しそうに頬張った。
頭にでかい着ぐるみを被った、明らかに成人越えの様子のこの男。あの店の店主であることは間違い無いが、一体何を考えているのか。
俺はあの後、警察に突き出されるでも無く、こいつの息子の看病に付き合わされた。その後、何故か車に乗せられハンバーグランチに付き合わされている。
「……俺に貸しを作って、あとで脅すのか?」
「も〜、きみったらトゲトゲしたことしか考えないんだから。違うよ。悪いようにはしないって言ったでしょ」
神経を逆撫でるような猫撫で声。いちいち人をイライラさせる言動が上手い奴だ。それがわざとなのか自然体なのかはわからないが。
「ふう……ま、そうだね。単純に、きみともう少し話をしてみたいと思ってね」
少し軽く明るい声のトーンで、そう返事をした。大人の落ち着きのなかに見え隠れする、そこにそぐわない何か。踊るようにナイフとフォークを宙に舞わせる様子は、まるで子どもだ。
「…ガキかよ」
「僕の脳内を覗いてごらん、まだ5歳だから」
「やっぱガキじゃん。ハハハ」
するとその男は、おもむろに俺の顔に己の顔を寄せてじぃーっと眺めた。そういう擬音が聞こえてきそうなわざとらしい動作だ。
「…なんだよ。馬鹿にされるようなことしてるそっちが悪―――」
「もうずいぶんと言われ慣れてるとは思うけど。きみ、美しい顔をしてるね。天からの授かりものだ」
突然そんな言葉を吐かれた。意味がわからない。
「なんだ、そんなことかよ。っていうか寄るなよな、気色悪い。……器がどれだけ綺麗でも、中身が駄目なら意味無い」
散々言われ慣れてきた言葉。反吐が出る。綺麗だから、整っているから何だっていうんだ。そんなものは俺を幸せにしてはくれない。それどころか、俺を虚しさと孤独でひとり置き去りにさえする。誰も彼も、俺の”器”しか見ないんだ。それでわかった気になる。本当は、誰も俺のことなんてちっともわかっていないのに。
ああ、やっぱり反吐が出る。見るからにわざとらしい、はあーと大きな溜め息が出た。
「そうかい?少なくともあの子は、そう思ってないみたいだよ」
「……?」
何が言いたいのかわからず眉間に深く溝を彫った俺をよそに、あーんとハンバーグを無邪気に頬張る。ひとしきり大袈裟に咀嚼をして飲み下した。
「さっき目が覚めたって連絡があってね。『瞳の綺麗な優しい男の子は、帰っちゃった?』だって」
「……っ」
嬉しそうに、裸になったフォークを左右に振りながら笑う。一体、この親子は何処まで脳天気なのだ。呆れさえ通り越して、もはや感心する。
だけど。
恵まれていながら、それに溺れていなかったあいつ。俺の心を、まっすぐ純粋な目で射抜いてきたあいつ。己よりも、大切なものを咄嗟に守ろうとしたあいつ。
微笑みの陰に痛みをちらつかせたあいつを、俺の脳は鮮明に再生した。
ああ、イライラする。イライラしてイライラして、色々なものを吐きそうだ。
「あの子の中では君がしたことよりも、君の眼差しから何かを感じ取ったみたいだね」
「知らねーよ。発作起こされてニコニコ他人の心配するなんて、お前の息子は脳天気過ぎるんじゃないか?」
「ふふふ。可愛いでしょう?優しい子だからね」
「褒めてねーけど」
「うんうん、そうだね」
依然微笑みを崩さない。どうやら俺の攻撃は通用しないらしい。俺は先ほどよりも幾らか気の抜けた溜息を吐き、ふかふかのソファの背もたれに大胆に崩れ倒れた。お前だけだよ、俺のことを全て受け入れて支えてくれるのは。
「だいたい、駄目な子なんて居ないよ。駄目な教育者がいるだけさ」
その瞬間、その男の一貫して浮ついていた語気がふいに消えた。が、すぐに何事もなかったかのように穏やかな雰囲気に戻ると、およそ3杯目になるであろうオレンジジュースを美味しそうにストローで飲み干した。
そしてその数秒後。ニコニコと両手で頬杖をつき、ふいに一層何を考えているのか読めない笑いをした。次にこう言った。
「あ。勿論、店舗内部への侵入と丞弥を追い詰めたことはいけないことだからね。それはちゃんと反省してもらうよ。具体的には、うちの店で春休み中にお手伝いをしてもらいます。よろしくね」
親御さんにはきちんと許可を取っておくからねと、仲人と呼ばれていたその男は、ぽかんとした俺をよそに両手を叩いてわーいと笑った。