挑戦することは別に素晴らしいことでもなく悪いことでもない。
なぜ人々は必要以上に「挑戦」という行為を評価したがるのか。
皆自分ではリスクを背負いたくなく、誰かがそれをやらなければいけないと自覚しているからである。
ファーストペンギン。あれとおんなじだ。
ペンギンは集団利益のために挑戦するが、人間は個人的利益のために挑戦することもありうるが。
ここで少し変わった観点で考えてみる。
例えば飲食店で生肉を提供することを想像しよう。生肉でつくるユッケは人気なので売上が期待できるが、当然食中毒の危険性が高まる。
果たしてどう思うだろうか。この肉屋の挑戦は皆で称えるべきだろうか。
ハイリスクハイリターンなんて言葉はもはや常識として浸透しており、挑戦するかどうかは(法の範囲内では)個人のひとつの自由でしかない。
挑戦したからといって、それが素晴らしいなんてことはない。本質はギャンブルだ。
失敗した者はたまたまハイリスクの方に倒れただけのこと。
ましてや成功する前の人間を過剰に評価する必要はまったくない。それに周囲にも何かに挑戦すべきという同調圧力をかけないで欲しい。
ギャンブルをせず、ハイリターンの誘惑に打ち勝ち、あえて無難に生きるという勇気にだって立派な価値がある。
どうせ称え合いたいのであれば、凡人であり続ける生き方を選んだ覚悟を持つ者。そういった「挑戦しない人」を褒めてみるのもいいと思う。
それが集団の利益に繋がっていることも多々あるのだから。