選択肢があれば、全て間違うことに定評がある。人生が選択の連続だとすれば、全て間違った先には何があるのだろうか。逃げてばかりの人生で、逃げて逃げて逃げ続ける先に何があるのだろうかと、怯えている(本当は怯えていない。何も考えていない)状態と近いものがあるな。
今日は久しぶりに落ち込んだ。ここ二週間ほどは落ち込む隙すらなくて、結果的にそれなりにうまく回っていたように思うのだけれど、何で三連休の直前、本当に直前の直前にこんな思いをしなければならんのだ。
ただこれも私のせいでしかない。私は自分の承認がもらえるかどうかを行動の軸にしようと決めたはずだった。その承認がもらえない行動をしてしまった。というかこの承認軸は結構良いものだなと思っていたはずなんだけど、あんまりその軸に沿った行動がとれていない気がする。今日からまたこの軸に従うようにする。
私には軸がないと思っていたのだけれど、承認の考え方については、自然と軸ということが出てきた。つまり仕事の軸はないけど、生き方の軸は一応あるのだ。よかった……のか?
そういえば、物理的地理的な環境で仕事を選んできたことをこの前珍しがられた。珍しがられることが珍しかったし、その一ケースを敷衍するのはよくないが、やはり珍しいのかと思った。これまでも転職するときに、これまでの職場の志望理由に悩んだものだ。だってその土地で働きたいしかないんだもん。それで納得してくれよと思うし、納得(というか説得か)をできないという気持ちもそれはそれでわかる。
しかし、本当に転職するのだろうか。考える隙がなかったというのもあるが、やはり私としてはしたくない。今の職場で働き続けたい。そのためには多少は変わる必要があるんだろうなと思う。今日、暇ができたからとさっそく手を抜いてしまった。できることはあるはずだろう。これはやる気に満ちているわけではない。私は暇や退屈が嫌いだし苦手なのだ。じゃああの時承認できる選択肢をとれよ。あ~気軽に希死が目を覚ます~。