昨日「ジブン書店」について書いたが、私の希望は「ジブン書房」に近いかもしれない。書店という形でジブンを表現するより、詩だったり短歌だったり、つまりは文芸表現で「ジブン」を表現したい。つまりは屋号ではなくペンネームというわけだ。
気を抜くと自分はどうしたいのかということばかり考えてしまう。それ自体は悪いことではないのかもしれないけど。結局いつも同じような結末になってしまって、楽しくない。同じような結末になることは否定的に思っていないはずだ。そうやって何度も何度も複製分裂を繰り返すことで、思考にコピーエラーを誘発させるのは常套手段だ。
それにしたって、同じことを考えすぎだから今こう考えているのかもしれない。具体的にどういうことを考えているだろう。具体性が色々と足りていない気がする。この色々も具体性がないし。年末、どういう社会になってほしいのかという質問に対して具体的に答えられなかったのが自分の中で結構引きずっている。具体的に答えられる自分を獲得したい。これは具体的な目標だろう。
具体的というものを、これまで避けてきた概念だと思う。なぜ避けてきたかを問うよりも、今は別の方向に進みたい。つまりは具体的な何かを持ちたいし、具体的なことをしたい。具体的な目標を持ちたいのかもしれない。そう考えると、試験勉強というのはいい目標かも。GW明けから勉強を始めよう。そこは許してくれ。
勉強はGW明けから始めるとして、今から始められる具体的な何かも考えておきたい。できれば毎日継続できることで、成果が分かりやすいこと。この記録がそれだともいえるけど……。手書きの日記のほうかな。あっちはなぁなぁになっているから、寝る前と起きたときに、漠然とでも具体的な未来像を手書きするようにしよう。こうやって、前向きなようなポジティブなようなことは「私らしくない」けど、そうやってウダウダすることに全然コピーエラーが発生しないから、もう強制的にやるのさ。つまりはそうしたいのさ。