自分が満足する自分を見せたいという話を昨日したが、それはなぜかというところまで突き詰められなかった。今日は底を突き詰めていきたいと思う。初めての連作。だがその前に、突き詰めるとは何だろうか。この記録をつけ始めてから1週間。それ以外でも読書記録をつけているから、自分が多用しがちな表現があることには当然気が付いているけれど、読書記録の時は違う多様語録が出てくる。突き詰めるはその一つだと思う。考えていきたいとか、深めていきたいとかではなく、突き詰める。この言葉を使うことに、何らかの意味があるとは思うのだけれど、それが分からない。私が重視しそうなことといえば、身体及び身体の動きである。しかしそれで深めていきたいでも、突き詰めると同じくらい(同じ程度)の身体感覚を伴っていないか? つまりどちらもやや抽象的ながら身体の動きを表しているということである。動きの向きの違いに着目すれば、深めるは下であり、突き詰めるは前に感じる。少なくとも前者は垂直で、後者は水平だ。私の好みからすれば下で、前という方向は避けるのだが、深めるはあまり使いたくない。世間一般の言葉の使われ方に関連している部分もあろうか。深めるは広く人口に膾炙している比喩表現である。逆張り人間なので、そういう言葉は嫌う。でも、突き詰めるも同じくらい膾炙していると思う。
ここまで書いていて、前提を覆すことになるが、突き詰めるもあまり納得している単語ではない。だからしっくりくる回答が浮かばなかったのだろう。それならば、私はどんな表現を使いたいのか、どんな自分で表したいのか。一つの物事について深めること突き詰めること、それを言い換える言葉は何だろうか。ここでじっくりと筆を止めて思索に入るほうが適切なのだろうが、この記録は止めどなく書くことが一つの緩やかなローカルルールとなっている。もちろん推敲もしない。だからここまで指を動かしてきたロスタイムを使って思いついた言葉を繰り出すしかない。考え続けること。私はそれを穴を掘っていくということにしよう。深めると近いな。でも違うぞ。違うんだ。違っていく。