本を通して知ることがあるとすれば

re_bartlby
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通算8回目の読書会。今までの読書会もそうだったけど、最初からフルスロットルで盛り上がったり場が熱を持ったりすることはなくて、時間が経つごとに自然と盛り上がっていくもののように感じる。本を読むときも、最初から(最後まで)面白いことを期待してしまうけど、徐々に面白くなることはあるし、急に一部分だけ面白くなることもある。急に敷衍した言い方をすると、それが人生なんだなと思う。

今回がどうして自分にとって良い回だったと思えるのか、まだ分析が足りていないところだけど、今の段階で言えることは、「言葉にならないことを言葉にする」と「言葉にならないことを言葉にしない」という私が考える両輪が上手く作用した回だったと思っている。みんな自分の考えを、それは本に直接関係することだけでなく、自分の人生を、自分の表現で探しながら言葉にしていき、ただそれでもまだ言えない部分は言えないまま残す。そういう会にできたと思っている。8回目になってくると、そろそろマンネリを感じ始めるのかと思っているが、今のところは全くその気配はない。新規参加者を毎回1人くらいは増やしつつ、このまま継続していければいいなと思う。

そう、継続は力なりなんだ。それは継続することでわかりやすく蓄積されるような力があるわけではない。ただ継続したという事実が自分の力になってくれる。自分を助けてくれるという意味合いなんだと分かった。1年に6回しかできない以上、ものすごく多くの回数を重ねることはできないけど、それでもこうやって続けていけているのは、我ながらすごいと思う。皆が付き合ってくれる限りは続けていきたい。

珍しく自画自賛するけれど、畑の読書会は全国でも珍しくて面白いほうの読書会だと思っている。それは畑でやっているということもあるけれど、何より「成長しない」「学ばない」「持って帰らない」、あえて収斂しちゃうと「キラキラしてない」。主催者がその意識でやっているんだから、何か光あるものに振り切ることはない。私にとって読書会は生存確認なんだ。それは参加者が生きていることもそうだし、世界中の皆が当たり前のように生きていること。それを確認するという作業が読書会なのである。