私の暗さ

re_bartlby
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公開:2024/11/27

この生き方をさせていただく、という信念と謙虚さ。私にはないものだった。非常に興味深く、惹かれる。私が自分を大切にできないというとき、そもそも大切とは何ぞやというところは言われるまでもなく重要な点である。ただ私は自分を大切にすること自体が分からなくなっているので、それを定義することができない。ただ、今の状態を大切にしているとは言えないから、逆説的にそうじゃない状態を大切にしていると仮定義するくらいだ。つまり、楽になってはいけないということ、楽に生きることは許されないということ。これは信念なんて綺麗なものではなく、ただ実際のところ呪縛のようなものでもなく、じゃあ何なんだろうというあやふやなものだ。私がしがみついている生の隘路だ。ただ話していて、中村文則の「自分が暗いことで相手に迷惑をかけることは止めた」という言葉を思い出した。私が自己卑下を止めるに至った重要なフレーズだ。どれだけ自己攻撃を行ってもそれは卑下ではない。言葉遊びの域を出ないかもしれないけれど、あくまでも卑下ではない。そういう意識を大切にしていた。ただ、楽になってはいけない、という考え方は卑下ではないだろうか?どれだけ違うとごまかしても、卑下ではないかという言葉が大きくなる。

誰かを大切にすること、この人を大切にしたいと思う。そうやって大切にしたいと思われる相手は、自分のことを大切にしてくれるその相手のことも、また大切に思うものじゃないかと思う。大切にされた人は、自分のことを大切にしてくれた人のことを大切にする。ただその相手が、自分のことを大切にできないとき、それは(ちょっと飛躍するけれど)自分の暗さで相手に迷惑をかける事なきがしてくる。

私が「大切にできない人が誰も大切にできない」という陳腐な言葉についてこれほど拘っているのは何故だろうか。ただそれがあふれかえっているからだけれではない、私がしがみついている生き方と絡んでいるのだとは思う。そこに目を向けることを可能にする何かが、私には足りていない。