昨日の続き。私が変えたいと思う理由を、分かりやすく箇条書きしてみようと思う。
仕事ができない
自分を慰める癖が強すぎる
無駄使いが多い
現状維持的性格
世の中を舐め腐っている
対人関係が下手
ネット依存、SNS依存
とりあえずこんなところだろうか。上3つはすっと出てきたけど、他の要素は捻り出したという感覚。私が「本当」に感じている要因はその3つということだろうか。こういう変えたい論争の時に毎回思うことだけど、要因はの主たる部分は仕事なのだ。今日もやらかしてしまったし(やらかしという一言では済ませられない規模のミスなのだが)。それほど仕事というもの人生の大きなウエイトを占める、そういう風に自分が内面化しているのも悔しい。悔しいのだけれど、近頃仕事を軽んずる言説が目に付くのも少し気になるところ。それは私が仕事を通しての自己実現的なものを信じているし、できたらいいなと思っているからだ。より深く掘り下げると、仕事はどうしてもやらないといけないものという認識に立っているので、どうせやらないといけないならせめて楽しくやれたら、それに満足しながらやれたらいい、と考えている。楽しんだり、満足するための要素として自己実現を充てていることだろう。これの前提は先にも書いた通り、仕事はやらないといけない、という観念なので、そこを切り崩そうする人が仕事を通しての自己実現系の言説を腐すのは、それはそれで理解できる。ただ私はやっぱり労働自体はしておきたいと、今現状は考えているというだけだ。
そう労働自体への嫌悪感はそこまで強くないと思っている。しかし満足できる仕事ができていないし、出会ってもいない。そこに変えたいの本質が詰まっているのではないかと思う。出会っていないのはいったん置いておこう。縁のものなので。できていないのを、できるようになりたい。上に書いた通り、直近でも大きなやらかしをしてしまったし。大きな(本当は大きさに依らずであるべきだが)ミスを自分に許容できるほど自分に優しくはない。ただそれを反省して挽回努力できるほど、自分に厳しくもない。この中途半端さが嫌だ。自分の中途半端さが心底嫌いだ。