文通は楽しい。もう一人くらい相手を増やしたいくらい楽しい。それなのに今回もらった手紙は、少し申し訳なかった。前送った手紙の内容は何となく覚えている。その前も。ここ最近、独り言をぶつぶつ言いすぎだった。反省。自己否定も自己攻撃もいいけれど、自分を卑下するのは止めだ。きっと誰も楽しくない。数多あるポジティブワードを否定する私だけれど、楽しいは否定しないし、したくないし、できない。楽しいのが一番。
でもそういう時期だった、ということも許してほしい。正直今もそういう時期だ。でも卑下はもう止めだ。何かもっと別の発露を見つけたい。私が私を証明するために生き続けるのならば、卑下はだめだ。それで証明できるのは卑しくて下がり調子な人間だ。前進上昇成長は不要だけれど。卑しいのはもっと要らない。私は私を証明したい。それは別に卑しい私ではない。だから卑下は止めだ。
だから堂々と言おう。まだ私はどうしたいのかわからん。一生分からんとか誰もわからんとか、そういうのはいらない。私がわからん、そして、私はわかりたい、ということが重要なんだ。
とにかく本は大事にしたい。でもそれは本を仕事にしたいということなんだろうか。正直なところしたことないからわからないというのが大きい。あと、したとしてもあまりうまくはいかない気がする。こだわりが強く、妥協をしたがらないからね。それでも本にかかわる生き方はしたい。なるべく商業的ではない形で。
もう一つ、人と話すこと。人に話を聞いてもらうこと。その応答をしてもらうことは好きだ。でもこれも、毎日だと多分きついんだろうなぁというのもわかる。対話って意外とハレだ。毎日ハレなのはよくない。
本と対話。この二つは間違いなくキーワードなんだ。この二つをどうやって自分の生活に深く入り組んで根付かせるかなんだ。それさえできれば、ほかには何もいらない。とはさすがに言えないが、それでもだいぶ満足だ。これをかなえるために、はてどうしようか。