自己紹介がめんどくさい。こういう考えが湧いてくるのは、対人関係が向いていない気がする。ただ、自己紹介がめんどくさいはまるっと正解なわけではない。予想される質問がめんどくさい、というわけだ。要は特定の質問に飽き飽きしているのである。「本読むのが好きなんですか?」系統の質問である。何故この質問に飽き飽きしているのか。一つには、好きじゃないからだ。もっと細かく表現すれば「無邪気に留保無しに好きとは言えない。もちろん嫌いなわけではないが、純度100で好きということはどうしても言えない。それなのになぜ本を読むのを止めないかといえば、読むことの苦しさと読まないことの苦しさを天秤にかけたとき、読むことの苦しさのほうがややマシだからだ。断じて好きでない」ということになるのだけれど、書いてみて思ったがこれって質問に対しての応答とはちょっとズレてるね。本が好きなの?という質問に好きじゃないと返して、相手の反応がいつも微妙なのは、私が好きじゃないと言っていることだけが理由ではないのかもしれない。あらかじめコミュニケーションの結末を予想して嫌気がさしているという不届き者なわけだが、次回は最初から諦めず、好きじゃないと返してみようか。そうやって期待をかけて裏切られることばかりの日々ではあるけれど。
私からすれば、好きなことを留保抜きに好きといえるほうが不思議なのだ。自分の好きには、何か後ろ暗いもの、罪深いもの、そういうものを感じないのだろうか、搾取を感じないのだろうか。私は感じる。難しい言葉使わずに言えば、自分が好きなことをできる特権階級であることについて、なんとなく後ろめたい。これが簡潔なまとめである。一度覚えてしまったこの違和感からは、もう逃れられない。
好きは本来、安心して立脚できるアジールになれるものなんだと思う。でもいつからだろう(いや分かっているのだけれど)。私の好きには、対象に対しての恣意的な支配を感じる。あやふやな言葉で煙に巻くな。