これを始めてもうすぐ2か月になる。今月は昨日も含めて2日ほどかけなかったが、基本的に毎日に書いているし、今後も毎日書いていくつもりだ。しかし今日は今までで一番書くことが思いつかない日かもしれない。そういう時は伝家の宝刀、なぜを問う。つまりなぜ書くことが思いつかないのか、を問うことだ。すぐに思い当たることがある。毎日ラインをしていることだ。そこでガッツリ骨のある話をしているので、こっち出掛けそうな話がそちらに回っているし、書くことを考える頭の容量もそちらに回っている。同じことを書けばいいやん、と思うがそれはなんだかずるな気もする。こっちはこっちで書く必要があるのだ。
そのため、やや反則気味にラインの会話をメタ的に考えたいと思う。あまり乱用はしたくないやり方だ。そうすればいくらでも楽にかけてしまうような気がするからだ。「いくらでも」という部分も「楽に」という部分もどっちも重要な引っ掛かりポイント。いくらでもいえることは何も言っていないのと同義だと思うし、楽にかけるのならわざわざこんなことをしている意味がないと思う。
相手方はこういう長い(一つの分量的にも期間的にも)ライン(というか話し合い?)は初めてとのことで、それを信じるとして私はどうだろうか。全くやっていないわけではないけど、ここまで日をまたいで続くのは初めてといえるかもしれない。今のところ、特段新鮮な素材は掘り当たらないが、「平行線」という概念が気になった。相手が持ち出したのではなく、私が勝手に感じたことなのだが、「お互いこのまま意見を出し合っても、絶対相手の意見を受け入れようとはしない」そういう空しい平行線を感じたのだ。人が人に影響を与えること。それが最も身近で、なおかつ強力なエンパワメントだと考えている。そのエンパワメントを求めて、もしかしたら人付き合いをしているのかもしれない。それが発生しそうにないと、何かしらの違和感を覚える。今の私としては、好ましい違和感ではないな。