異論の練習ということは良く言うけれど、異論をぶつけ合ったその先のことはあまり考えてこなかったように思う。今回、意図せずかつ予期せず比較的穏当な形で異論を表明しあうことができて、これは非常に良かったと思う。非常に良かったのと同時に、ぶつけ合ってそれで今どうなっただろうということを考えたい。ただぶつけ合うことができて良かったね、だけではやはり終わらせがたいものがある。もちろんそれはそれでいいのだけれど。それともう一つ、異論をぶつけ合うという表現をしているけれど、私の実感としてはリアルの表明、リアルを提示しあう、という方が妥当かなと思っている。異論のぶつけ合いはまだましだけれど、お互いにそれぞれ正しさがあってそれを主張し合う、とかになるともう良くない。いくら合意があった上だとしても袋小路へと入っていくような未来が容易に想像できる。だから、私には私のリアルがある、あなたにはあなたのリアルがある。それぞれのリアルを提示して、それをどう受け止めるか解釈するかはその場次第、そういう風に考えるのが穏当かな。
そういったとき、今の私はどうだろうか。違うリアルをどう受け取って、どう解釈しただろうか。あんまり良い解答はできないというか、少なくとも成功例ではないと思う。なぜなら指摘された点はもう分かっているからだ。それを分かったうえで言っているという留保が足りなかったという反省はあるけれど、指摘自体は至極全うでそれ故に当然に理解している指摘である。それを指摘したうえでどうして欲しかったのか、という点を聞けばよかったな。正直言って、指摘内容はトーンポリシングに近かった。自分を擁護するわけじゃないけれど。つまり一番の反省点は言葉を端折ってしまったことにあるな。人と話していると、特に焦り始めると言葉を端折ってしまう。だからもっとポツリぽつりと、ゆっくり零れ落ちるようなスピードでしゃべるのが良いと思う。それが一番の反省点。