どうしたらいいか分からない、自分が求める生き方が分からない、ということは冷静に考えてこの上なく一般的な、至って普通の悩みだと思う。世間の皆様方は、こういう悩みとどう向き合って生き延びているのだろうか。全くもって不思議だ。外見からはそう見えないだけで、実は皆さん私のように懊悩して、時には死にそうになりながら生きているのだろうか。だったら、心強いのと心配なのと半々だ。この苦しさは知っているから、たとえ見ず知らずの人だとしてもこの苦しさを味わってほしくない。だから心配ではあるけれど、同じ苦しみを抱えて生きている人がいるのであれば、自分もまだ苦しんでいいんだ。まだ生きていてもいいんだと思えるから、安心できる。特に自分より年配の人が苦しんでいると、安心も一入だ。自分もまだまだ苦しめる。いい加減大人になれよ、と言われること度々あるくらしなので、若者らしい苦しみを抱えていいんだと思わせてくれる人はとても好きだ。私が安心するのに利用しちゃってごめんね。
今月末の予定が無くなったので、久しぶりに尾道に行こうかと考えた。そこで思い至ったのが、現職を辞めたときに、尾道の人たちにどう顔向けしようかということだ。いや別に、普通にいけばいいのだ。どうも合わなくて辞めちゃった~で何も問題ない。それくらいはわかっている。私が尾道でいまだに、そして今後とも縁を紡いでいたいと思っている方々は私が仕事をどうしようが、それで蔑んだ眼は見ない人たちだ。それなのに気にするというのは、その人たちに失礼なんじゃないか、とこれまでは思っていたけど、少し違う気がする。私はやっぱり、自分が満足する自分を相手には見せたい。好きな人たちには特にそうだ。見栄っ張りだとか虚飾だとかじゃない。私がそうしたい。これは自分がどうしたいかと、とても深くかかわっている気がする。自分が満足する自分を見せたい。なぜ見せたいのか、それが次に考える段階だろうが、とにかく今は、自分が満足することをなぜ求めるのかそれは、自分が満足する自分を見せたいからだ、というところに行き着いたから満足だ。