自分への不信 変化への信用

re_bartlby
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久しぶりの畑作業だった。畑自体にはひと月に一回くらいのペースで行っているが、作業をするタイミングは合わず、秋に稲刈りをして以来だと思う。豆の選別と聞いた時、すぐに自分に向いていること、自分の好きなことだと思った。その直感は当たっていたわけだが、同時に、向き不向きとはやっていて苦じゃないかどうか、という言説にも真実味が湧いてきた。少なくとも私とっては限りなく真実に近い。豆の選別が苦だという人が想像できない。私にとってはそれほど集中できる作業だった。

しかし、この苦か苦じゃかないか、という線引きもその日その時のコンディションで変わる、つまりは相対的なものであるとも思う。そうなると向き不向きも絶対的なものではなく、今の時期はこれが向いているけど、数年後数十年後には変わっているのかもしれない。なんだか素敵な話だと思う。私は自分のことは信用も信頼もしていないが、自分の変化は信用している。その変化に対する信用がさらに増したような気がする。向いていないというのは、今向いていないというだけなのだ。

こう考えると、「今しかない」という言説にも、違った角度から光が当てられそうだ。過去も未来も存在しない、今に集中すんだと知人からよくアドバイスを受ける。その考え方自体は然りとしか言えない、反論できないものだけれど(だからこそ)、安易に首肯もしてこなかった。だが、自分の考えも含めてあらゆるものは変化していく、変化しないものは今しかないのだ。と考えれば今に集中することの……意味、重要さ、ポイント……しっくりくる言葉は来ないけど何かある、という感覚はある。

私はつまらない、禄でもない、どうしようもないの3ない人間だとよく言っているし思っている。それをどれだけ周りの人が否定してくれても、失礼なことに納得できることはできない。できないのだけれど、そこにも少しずつ変化が生じているのが分かる。要は自分を信じるか、他人を信じるかという話でもあるのだ。この点に関しては、他人を信じてもいいのかもしれない、今はそういう方向へ変化している時期な気がする。