同族嫌悪とナルシズム

re_bartlby
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午前中はグダグダ、午後で回復。よくある休日である。逆はあまりない……気がする。覚えていないだけかも。ないようにするために、15時とか16時にはまだ帰らないようにしているのかな。その時間に帰るとグダグダになってしまうから。

休日の過ごし方はいまだに難しい。一日外出して人と会って喋ることが、一番満足感が高いことは分かっているけれど、毎週毎週それをしていると、二週目くらいからはもう一日何もしない日が欲しいと思ってしまう。でも、今日は本来一日何もしなくていい日なのだ。それをわざわざ出かける用事を作り出して出掛けている。何もしていないと、何か不安なのだ。不安? ちょっと違う気がする。最近のホットワード「満足」を使うとしよう。つまりは満足感がないのだ。夕方から本屋さんでおしゃべりをし、そのあとカフェでお茶して帰るだけで、満足感が違う。午前中をもっと「有意義」に過ごせたら違ったんだろうか。まだそれができたことがないから、何とも分からないね。

夕方から本屋に行きお喋りしカフェでお茶して帰る、そんな一日だけでいい。みたいなことを投稿すれば、それなりの高評価を貰えるだろう。貰えるということは少なからず共感があるのだろう。どういう共感なんだろう。いや、この疑問自体がどういう疑問なんだ? とは思うが、やはり疑問なのだ。そういう一日がいい。そういう一日でいい。これは私のリアルであるし、他の人からしてもリアルなんだろう。同じような投稿があれば私だって共感すると思う(反応するかは別として)。でもその共感が何なのかが分からない。何なのかが分からないって何なのさっていうのも分からない。行為の意味が分からないのだろうか。それもある。こんなの同意を得られるに決まっているではないか。いやそれだけではない。こんな一日でいい、という言い方には比較対象がある。つまり、何かもっと飽和な満足があり、そこまでは要らないよ、という姿勢の表明になっているのだ。それをわざわざ表明しないといけない。それほど飽和に惑わされていることがなんとなくヤダ、ということにしておこう、