実際には存在しない恐怖をわざわざ探している

re_bartlby
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ずっと何かに怯えている。でもそれが何かがわからない。恐怖を見つめても、霧散していくようだ。

おそらく怯えているとわかっていることは、職を失うことだ。ボスからの信頼は、控えめに言って限りなく0に近い。どういう形でかはわからないが、いつ三行半を突きつけらるか、という状況だと思う。そうして職を失うのが怖い。

でも、職を失うことの何が怖いのだろう。とりあえず、お金が無くなることは怖い。でも、選ばなければ仕事はいくらでもある。世の中を舐めた考えかもしれないが、それでもないことはないだろう。

しかし選ばなければ、という点が重要だ。どんな仕事に就いてもいいか、と聞かれれば首肯できない自分がいる。職業に貴賎なしなどと言いながら、自分は職を選んでいるところに、激しく嫌悪感を覚える。

では私は賎と考える仕事に就くのが怖いのだろうか。仮にそうだとして、それの何が怖いのだろう。これはハッキリしている。それによって失う(得られる?)社会的ステータスが怖いのだ。特に、今はそれなりに高い社会的地位に属している(と思っている)から余計に。

では、その社会的ステータスに陥ることの何が怖いのだろう。私の周囲に、数少ないながら、しかし確実に存在はしている、私が関係性を紡いでいたい人たちは、私が低い社会的ステータス(だと認識している領域)に属しているとしても、良くも悪くも態度は変えることはないだろう。そういう人たちだと知っている。

じゃあ何が怖いのか。分からない、何もわからない。存在しない恐怖をわざわざ探して作り出して、必死になってそれに怯えている気がする。それに怯えろと何かが囁きかけてくる、もしくは叫び声をあげてくる。

何よりも、こんな「ありきたり」の悩みを抱えていることに、これもまたよくわからない気恥ずかしさがある。同じ悩みを抱えている人だってきっといるはずで、そういう方々に失礼なことも分かっているけれど、「そんな程度の悩みか」と思われるのが怖い。だから誰にも、限界が来るまで話せない。この恐怖も、見つめれば消えてしまう。本当に怖がっているのか?怖がっていない気がする。でも何かに怯えている。何もかもわからない。