久しぶりに読んだ本の感想を書いた。ハンチバック。テーマがテーマなだけに言葉使いが難しい。障害者をどう変換するかでも悩む。でも私はとりあえず障害者にしている。納得しているわけではないが折衷案。障がいとする意味も、障碍とする意味も分かる。当事者がその言葉を控えてくれというのでは分かる。ただし少なくともハンチバックの感想を書く上では障害者だと思う。最低限の、ハンチバックに対しての、私なりの誠実さ。
「分かる」ではなく「分かろうとできる」と言うようにしたい、ということを話したときに、誠実な態度だと評してもらえた。嬉しかったのか嬉しくなかったのか、未だによくわからない。どっちでもいいのか。よくわからない。もっとシンプルに、褒められた時の反応が分からないという話かもしれない。自分で自分を認めている部分以外は、褒められたとしても大して、いや全く嬉しくないというのが正しい。そんなことないと否定する。だってそんなことないんだもん。謙遜でも卑下でもなく、それが現実。じゃあ褒められて嬉しいこと。私が私を認めている部分って何だろうな。分かりたくもない。うーんこれは嘘だな。字が汚くても、伝えようという意思は感じられると言われたときは嬉しかった。それを私は裏切っている。愚劣。
「誠実だ」と言われたときは、にやけそうになった気がする。あの感覚は何だったんだろう。「誠実」は自分が何らかの態度を定める際に使用している指針言語だ。それを相手から言われたのだから、嬉しいでもいいのではないか。じゃあ嬉しくなってどうすればいいんだろう。そうだ、皆誠実になれと言いまわればいいのだろうか。褒められた先の対応が分からん。自分も他人を褒めるくせにね。
3人が人間関係の限界だなんて言ったけど、最近は1対1まで限界が下がってきている気がする。というか、自分が異端者である思いが強まっている感じか。1対1では、お互いが必ず異端だから安心感があるのかもね。明日は異端になろうぜ。