恥は誰のものだろう

re_bartlby
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昨日のことをまだ引きずっている。意外、そう意外だ。切り替えが早いというか、こういう失敗はあまり引きずるタイプではないのだが。引きずっているというよりは、何度も何度も反復して考えてしまっているというほうが正しいのかもしれない(それが引きずるということなのかもしれないけど)。誰かに発散したいわね。ここで発散しきれていない。中途半端な発散だからこうなっているのかもしれない。とにかく週明け以降気を付ける。今はそれしか言えない。

急遽参加した義肢との遭遇だったが、内容として面白くもありつつ、悪い意味で、というわけではないが1時間半では足りない内容だったように思う。つまりもっと登壇者は話せたし、トークセッションのほうももう少しなんとかできたんじゃないかな、と思う。ただ議題が徒手空拳で動くには難しい。費用の問題は社会保険の制度を知らないとよくわからない部分が多いし、何より現状の相場も分からない。ファッションのほうはまだいっちょ噛みできる問いだけれども、だからこそありきたりなものしか出てこなさそうだ(実際にそうだった)。関係者増についても、案が欲しいのは事実だろうけど、具体的なことを考えるには現状を知らなさすぎる。現状を知らない状態で出てくるまっさらなアイデアに期待しているきらいもあるのかもしれないが、限度というものがあるのではないか。

個人的に気になるのはファッションという部分。もちろんファッションにするなと言いたいわけではない。恥ずかしいから隠したいなんて気持ちはないほうがいいに「決まっている」。ただ、恥ずかしくない方法として、かっこよくあるいは可愛く見せるというのは微妙に違和感がある。つまり恥ずかしくさせているのは社会とマジョリティの問題なのに、結局解決のためにマイノリティが動いているではないか、という違和感だ。もちろん自己実現のために、義肢の選択肢・ファッション化は増えたほうがいい。そのためのカッコよさや可愛さの追求もする「べき」だと思う。でも恥ずかしさの解消をマイノリティに委ねるのは違うのでは? ここは穴を掘っていきたいところだわね。