写真は送らなかった。あの写真は送れなかった。ハンモックの網目から盗み見るような画角。面白みがあるかと思って撮ったものだが、何も面白くない。何が面白くないのか。私が彷彿としたのは、収容所における隠し撮りである。ネタにしてはいけないものをネタにしてしまったという感覚が後から湧いてきた。だからあの写真は送らなかった。
しかしそうなると送る写真がなくて困る。私が写っていてお気に入りの写真は何枚かあるが、私が人を撮った写真といったものはほとんどないのだ。数少ないもの中からお気に入りで残していたものを送ったが、満足はしていない。そもそも写真を撮るという行為をずっと排してきた人生だった。それは記録性に対する反抗という思いが強いけれど、それ以前から写真を撮ることに、恥ずかしさのようなものを感じていた気がする。それと同時に写真というものに、少なくとも高校生の頃は憧れていた。そう憧れていたのだ。トイカメラなんか持っていたし、わざわざ高校まで持っていっていたし、写真部に対する、未だ形容できない思いもあった(そこにいた部員も含めて)。
この場合憧れているのが、写真なのかカメラなのか撮影なのかが重要だ(もしくはそれ以外か)。少し考えてみて、おそらくそれ以外だろうなと思う。私が憧れているのは、写真を撮る対象を見つけること。それを撮影できるほど、対象との距離感をつかめること。この2点な気がする。これは被写体が生物かそうでないかにかかわらず同じだ。
これ以上は現状では何も出てこないので、写真を見ることの難しさにも言及したいと思う。写真展にはたまに行くが、絵画よりも圧倒的に見るのが難しい。どの点をどう評価したらいいのか分からないのが原因だ。と言いたいところだが、絵画だってそんなことは分からない。写真の難しさは……なんだろう、本当になんだろうな……。難しすぎるんだよ。それが憧れているシンプルな理由なのかもしれない。こんなに難易度が高いものを、どう乗りこなすんだ?