私はどんな時間も無駄ではないと思っている。
無駄だと思っても、どうすれば有意義に出来るのかを考える機会をもらうことができた、とさえ思うくらいだ。
それはきっと優秀な先人たちも同じで、
多くの先人がどうしたら時間を有意義に出来るのか、を考えてくれたおかげで、効率化されたものがたくさんある。
時代とともに日々の生活は効率化され、暮らしにゆとりができた……かと思いきや、そうでもないようで。
今は「タイパ」という言葉が定着するほど、「少ない時間でいかに多くの満足感を得るか」が重要視されているらしい。
昔より医療も発展し、健康で長く生きられる可能性だって高いのに、
それまでよりもたくさんの知識を、体験を、心に身体に頭に詰め込もうとしている。
(そう考えると、昔どこかで見た、ウン百年先の人類は頭が一回り大きくなる、の予想図が、なんだか腑に落ちてきた。)
私も、好奇心強めだからいろんなこと知りたいし、やりたいし、気持ちは分かる。
でも、あるとき信号待ちをしていて、
「あ、こういう時間って必要なのかも」
と、ふと感じた。何故かは分からない。
すごく若いわけではないし、心も身体も休息が必要なのかも。息継ぎのような、深呼吸のような時間。
少しだけ早めに着いた待ち合わせ場所で相手を待つ時間、
電子レンジに入れた牛乳が温まるまでの時間、
仕事の合間に、仕事から少し目を逸らしてお茶を飲む時間、
そんな余白みたいな時間を、そんな時間があることを、楽しめる人間になりたいなと思うこの頃でした。
きっとそれも意味があるから。いや、意味はなくてもいいかも。
しかしXでトレンドワードやバズったポストについてるインプレゾンビをいちいちブロックしている時間、あれはめちゃくちゃ無駄ではある。