新卒の方の採用面接をしていると、「学生のうちにやっておいた方が良いことは何でしょうか」という質問がしばしば飛んでくる。
「そんなことはちゃんと自分で考えた方が良い。」という言葉が毎度出そうになるが、昔の自分を思い出すと、そういう質問をしたくなる気持ちもよくわかる。
実際、僕も就活を始めたての頃は、よくわからないカタカナ語を使う大人/面接官に内心毒づきながら、言いようのない不安を抱えて、同じような質問をしていた気がする。社会人生活という未知の世界に飛び込む上で、何か教科書が欲しい。同世代に遅れを取りたくない。何か致命的な見逃しをしたくない。
そういう気持ちを持つことは普通のことだと思う。
苦い思い出
思い返すと僕は、大学3年生の夏、各社のサマーインターンに行き始めて、そうした思いを一層強めた気がする。そこで出会う同世代は、既に面接官が使っていたカタカナ語を使いこなしており、終始何を言っているかよくわからなかった。僕はグループワークの議論についていけないまま、チームのリーダーがメンター社員に向かってプレゼンし、メンターが満足げに頷くのを見ていただけ。当時チームに対して提供したのは、議論を邪魔しない相槌と、場の空気を乱さず、過度に明るくも暗くもない表情を保つという惨めな社会性だけだった。
「自分は何か、決定的に大学生活の過ごし方を間違えたのではないか」という心持ちになるのにそう時間は掛からなかった。
焦りを募らせた僕は「大学にいる意味なんてない」と思い始める。一刻も早くビジネスの世界に飛び込んで、ドヤ顔でカタカナ語を使っていた同世代を出し抜きたいと心底思った。
幸い、サマーインターンを経て、何社か内定が出た。 個人的には惨憺たる結果だと捉えていたサマーインターンも、本人が思うより酷いパフォーマンスではなかったのだろう。
そして、そのうちの1つに大学を中退して入ろうとした。
「東京大学を中退して、スタートアップに入る」ということが何かの物語の始まりなのだと強く思った。僕は普通の人がしない選択をして、いち早く実績を残すのだ。何を大学で学ぶことがある。さっさと見切りをつける自分はやはり賢いのだ、という優越感。要するに、僕は若かった。
中退を諦めて得たもの/捨てたもの
「大学を中退する」と家族に告げると予想通り紛糾した。「なんでそういう選択になるの?」と何度も問われ、その度に僕は「この人たちは何もわかっていない」と思った。すったもんだの末、最終的に父に説得され、僕は渋々中退を諦めた。当時はとても不満だったが、何もわかっていなかったのは僕の方だったと今では思う。
あれから少し大人になり、わかったことがいくつかある。
当時の僕は、必ずしも僕だけの力だけで得たものではないものを捨てることによって、手っ取り早く何者かになろうとしていた。不誠実もいいところだ。
そして、そんな輩はビジネスの世界では成功しない。自覚・無自覚問わず、平気で仁義に悖るような行動をする人間はやがて誰の助けも得られなくなる。変化や浮き沈みの激しい世界で、それは致命的だ。
一度した選択は、その人の一部になる。日々の選択がその選択に見合った場所にその人を連れていくと共に、その人の人格を形作るのだ。 その意味で、あのとき中退を選んだという事実が、現在の僕の中になくて良かったと思うことはある。
もちろん中退することによって得られた機会もあっただろう。当時入社しようとしていた(※その後、中退せず入社した)スタートアップは非常に勢いがあった。2010年代半ばには珍しい、数十億円の資金調達をし、優秀な人材をかき集めていた。こうした場所には魅力的な機会がたくさんある。そして、その機会というのは通常そのタイミングにしか存在しない。中退することで、同世代よりいち早く飛び込み、そのチャンスを掴みながら昼夜問わず働くことは、きっと財産になっただろう。
ただ、電車は1つ見送っても、やがてまた新しい電車が来る。 全く同じ機会を得るのは無理な相談だが、別の刺激的な機会を得ることは常に可能だ。人生は長い。就職活動の1-2年だけで行く末が決定されるような、つまらないものではないと思う。
己の興味関心の形と向き合うこと
「学生のうちにやっておいた方が良いことは何でしょうか」
この質問に対して、敢えて回答するとすれば、「自分の興味があることで、かつ今しかできないこと」というものになる。 面接でこう答えると「はあ?」という顔をされることもあるが、真実は大抵退屈なものだ。
具体的にやっておいた方が良いこととは結局、多くの場合、大学のリソースを活用した学業になるのではないかと思っている。学業に取り組みながら、自分の興味関心の形や、思考の仕方を模索するのがおすすめだ。対象は何でも良いが、研究の経験というのは自分というものを知るのにも役に立つ。
何も無理やり就活をしたり、長期インターンで働いたりする必要はない。もちろん興味があればやるべきだと思うが、大概の活動は今しかできないことに該当しない。
要は、変に焦る必要はないということだ。
別に友人と麻雀に四六時中明け暮れても良いのだ。それは「今しかできないこと」と言える。個人的には、プロなら数時間で作れそうなアプリケーションの開発経験を面接でアピールされるより、麻雀がいかに素晴らしいゲームなのか、迸るように語ってくれた方が面白い(僕は麻雀のルールすら知らないが)。
自分にはまだ自覚がないかもしれないが、その人にはその人だけの興味関心の形が備わっている。学生のうちに自分の心の内からの声に素直になり、色々な経験を経ることで、その形の片鱗に少しでも触れることができたら上々だ。
そうやって少しずつ自分というものを知りながら、自身の興味関心を追求してきた人はとても魅力的だし、良いキャリアを歩めるのではないかと思う。