11月5日(火)
とある言葉の語源を調べたときに、その由来が和歌にあることを知った。
そしてその真っ先に出てきた古今集の中の一首。詠み手が「よみ人しらず」であることに感動してしまった。
その歌を詠んでその言葉を残した人は確かにいるのに、その人の名前や来歴や功績は少なくともこの和歌集には残っていない。だけどその人がそのときに詠んだ情景や心情や言葉はこの令和の現代にまでずっとずっと残っている。それは本当にすごいことだと思う。
以前、「今の自分自身の熱を表すようなオリジナルの名刺を持ってみたい」というような"とるにたらないものもの"を書いた。
でも名刺なんてものも要らないのかもしれない。現に私はこの歌が「よみ人しらず」であることにとても惹かれたし、「黄昏(誰そ彼)」に縁を感じてもいる。
私は何を残せるわけでもないけれど、いま生きている時間を全うして還りたいとは思っている。今世でやるべきことはまだうまく見えていないけれど、このまま名もなき一人として(それでも自分のやりたいことはしっかりやって)歩いていくのもいいなと思った。
今回語源が気になって調べたその言葉は「縁の色(ゆかりのいろ)」だ。
イラストを置く場所として新しく拵えた「Xfolio(クロスフォリオ)」のポートフォリオ(マイページ)構築をしたあとで、それに掲げる名前をずっと考えていた。
シンプルなものやキャッチーなもの、語呂が良いもの、…何より自分らしさが込められるもの。
いろいろと書き出したり辞書を引いたりした中で、ふと降りてきてこれだ!と思ったのが「縁の色(ゆかりのいろ)」だった。
「紫」と「縁」は、私にとっては自分自身を表すことができるそれこそとても縁のある言葉だ。そのふたつとも「ゆかり」と読めることは知っていたのだが、今までその由来を調べたことはなかった。
ゆかり【縁】 の 色(いろ)
紫色。
「古今‐雑上」の「紫のひともとゆゑにむさし野の草はみながらあはれとぞみる」などからいう。
[初出の実例]「むさし野のゆかりの色もとひわびぬみながら霞む春の若草〈藤原定家〉」(出典:最勝四天王院障子和歌(1207))
参照:コトバンク 出典|精選版 日本国語大辞典
紫の一本(ひともと)ゆゑに武蔵野(むさしの)の草はみながらあはれとぞ見る
出典
古今・雑上・八六七・よみ人しらず
訳
たった一株の美しい紫草があるために、武蔵野に生えている草はすべていとおしく思われるよ。
(中略)
参考
「紫」は、紫草のこと。その根から赤紫色の染料を採る。武蔵野は、紫草の産地であった。愛する女性を一本の紫草にたとえ、その人につながりのある人はみな、いとしく、なつかしく思われるというのである。『源氏物語』における「紫のゆかりの物語」の源泉となった有名な歌。
(『三省堂 全訳読解古語辞典』第四版)
「武蔵野」は関東生まれ関東育ちの私には馴染みのある名だ。
また、由来が和歌という面に関しても、百人一首や勅撰和歌集に触れていた私にとっては親しみを感じるものだ。この歌の意味もとても素敵だと思った。私もこんな風に広い視点と深い心で大切な人やものをきちんと大切に慈しんで歩いていきたいものだなと思った。
どこをとってもきっと私らしく一本筋を通せる言葉だと思って、「縁の色(ゆかりのいろ)」という言葉を拝借することにした。
文章はここ「しずかなインターネット」に。イラストは「Xfolio」に。こつこつ積み重ねていきたいものを置く場所としてとても良いものに出逢えたなと改めて思った。