口から生まれたと揶揄されるほど、昔からよく喋る人間だった。見たもの、聞いたものをアウトプットせずにはいられなかった。あまりに私が煩くて、ある日より我が家は私語厳禁となった。話しかけると廊下に叩き出されたが、懲りずに話しかけては廊下に立たされていた。根負けした両親は一冊のノートを与えて、話したいことはこれに書いておけと言った。薄っぺらいノートは直ぐにいっぱいになった。次から次へとノートをいっぱいにして、とうとうノートは廃止になった。周囲の勧めで受けた病院での検査は正常で、落胆していた両親の姿を覚えている。家の中の居場所を失って、庭の花壇の土に文字を書くようになった。休みの日はずっと庭にいて、一人で文字を書いていた。買い与えられていた辞書や伝記を読んでは、その感想を書いていた覚えがある。
小学校の高学年になる頃には、周りの目が厳しくなり、頭の中で文章を捏ねくり回すようになった。脳内で自己完結を繰り返した文章は読者を前提にしておらず、分かりにくいものだった。漫画もテレビも禁止だったため、同年代の子たちとは話題も合わなかった。話すこと自体が億劫になり、読書にのめり込んだ。傍目には無口で引っ込み思案な人間は漸く家族として居間にいることを許されるようになった。楽しそうな家族の会話を聞いて、会話とは一人では完結しないと理解した時、溢れ出すように湧いていた独り善がりの言葉は唐突に枯れた。
きっと昔の私が今のようなインターネットを得ていたら、本当にずっと文章を書き連ねていたと思う。現実に目を向けることなく文字通り夢中となって。そういう意味では早々に話すことを制限された経験は必要だったと思う。今でも口煩く語り過ぎるきらいはあるけれども、語る場所が増えた今となっては然したる問題でもない。