いつ読み始めたか覚えていない『ホモサピエンス全史』を惰性でいまだにちまちま読んでいる。下巻の後半にさしかかり今は幸福についてご教授いただいている。幸福には人それぞれ大きさの異なるコップがあり、コップに注がれる水に対して満足する量が人それぞれ生化学的に決まっているのだとか。
私自身毎日を送り幸せだ・不幸だ等と感じることがほぼ無く、幸福になることにこだわりがないのだと思う。自分が幸せになるために何かを追い求めたり執着したりすることが皆無だ。これはもしかしたら、とんでもなく不幸になったことが自分の身に事実上降り注いだことがないからなのでは?と思ったりもする。いや、実際は"客観的に"不幸な状況に陥っているのだがその不幸に気づいていないだけかもしれない。人それぞれ幸せの閾値が異なるのだから客観的も何もないのだろうが起伏の無い人生が魅力的でなくつまらないことはたしかだ。「三十にもなってそんなんでええのんやろか」などと金曜日会社帰りの道で考えたりした。社会に出た勢いのままこれまで慣性の法則で進み、日々の小さな摩擦により年々失速している気がする。惰性で生きている。