羽ばたきの力強い音が耳へ届いた。他人と比べることはあまりしなくなったけど、他人を想像して、あぁ、素敵だなぁ、眩しいな、いいなぁって思う感覚は日に日に強くなっていく。羨ましいって感情だろうね。でも、みてて心は暖かくなるから、それだけだったらいいかなって思ってる。私には私の修行があるように、他人には他人の修行があるだろうから。その修行から逃げるか逃げないかは置いておいても。私はよく生きる修行をしようと思ったから今があるんだと思う。他人のために生きない修行。自分のために生きてみる修行。私のために生きて呼吸を続けて寝て起きてご飯を作って笑って泣いて時間を使う。お金はそんなに持っていないけれど、時間はたくさん持っている。ゆっくり休む。ゆっくり眠る。なんだかとても悲しくて寂しくてこのやり場のない耐えきれない感情はなんだろうかとふと考える。にっちもさっちもいかないけれど、悲しくて寂しいという感情を否定はしない。安心できないから、そわそわとざわざわとして焦りも不安も生まれる。ここ10年のいつも通り。慣れたもの。
遠くで猫が鳴く。昨日は猫にたくさん出会った。自然が豊かで呼吸がしやすい土地。都会より窓もカーテンも開けやすい。散歩もし易い。住み心地は今までで1番いいのかもしれない。
少し自分のために運動をしてみたい。骨密度が子供の頃から低く、ピアノもやってた影響から、運動を禁止されていた時期が長い。自分のために運動して、自分のために部屋を清潔に保ちたい。そんなやってみたいに囲まれながら、次起きれるようになるまで静かに眠る。やってみたいを温めながら。
私は丁寧に私を育て始めた。