昨日の精神科の診療と心理師のカウンセリングはかなり堪えた。診療とカウンセリングの間に珍しく少し時間があり、お手洗いに席をたった。ハンカチ握りしめて個室で静かに号泣。ハンカチ持ち歩く習慣が出来ててよかったと思う。次、カウンセリング。新しい発見。帰ってからもなんだがずっとそわそわしてて、あぁ、なんだ泣きたかったのか、よいよい、好きに泣けと言ってやったら、また号泣。泣くのは我慢しなくてよい。治療を少しずつ進めるたびに観える世界は移り変わってゆく。今回わたしがわたしの王のためにせめてもの出来ることといえば、観える世界を観たいように、観たくない世界を観えないようにする為の認知を贈ることだったりした。
交通機関が止まって帰れなくなって画用紙とペンに遊んでもらいながら待つ春の午後。やっとこさ動きだし、無事降りる。ドラッグストアに寄り、トイレットペーパーは全額ポイントで購入。嬉しい。
涙は落ちる。言葉は産まれない。じっと待つ。急かさない。
にっちもさっちもいかない時は、写真を撮ることにした。
4月から少しずつ働き始める予定だった。バイトはもう決まってて、働き始める前の契約書の手続き。保証人が必要らしい。保証人。。。保証人。。。。。家族と呼べる何かは所持していない。どうしようと数分途方に暮れたが、スタンスは変わらない。出来ることをやるだけだ。スーパーへ行き、冷蔵庫の中の選択肢を増やしてやる。図書館へ行き詩集を大量に借りてやる(大量と言っても4冊なのだけれども)。ホームセンターで果物の木たちを眺める。いつか李を育ててみたい。
何をしたいか。諦めそうになるそれを片端から引っ掴んで掻き集めて、手を離さないように。大切に持っておけるように。音無しの闘い。
歌を歌い、鍵盤を叩く。寝て起きて食べて買ってつくって掃除してシャワー浴びて歯を磨いて。自身の持てるエネルギーを計算しながら健康に生きるための案たちを片端から試していく。その時間をわたしは手に入れてくれた。『売る』という行為にもう少し触れてみたい。
蛙が大合唱の夜。朝晩はまだ冷え込む。暖かいものでも片手に持ってくれているとわたしは嬉しい。
空の写真