2024.4.26 祈りのとある一部分

李晏
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疲れ果ておやつの時間から眠りにつく。後で夕方のスーパーは行けたらいいと思っていたが、覚醒はしても身体はもう起き上がれなかった。残念。ただ、よく頑張ってくれたから、また明日行けそうだったら行けばいいんだよと、ささやかな罪悪感には囚われないようにしてやる。強く冷える腰にしばらく前に購入していた電気湯たんぽを贈ってやる。根本解決法を見つけるまでの助けになるだろうか。

お風呂場の湯船と排水溝の掃除をする。湯を貯めている間、わちゃっとしてるキッチンを片付ける。皿洗い。オーシャンゼリゼを流しながらペットボトルを片手に湯船に浸かる。少し熱すぎたかも。浸かる。

軽食を作り、小腹を満たしてやる。不足している野菜も気持ち摂る。気休め程度。無いよりはいいだろう。通院後のご褒美に買ったグミを噛み締める。

静かなジャズをかけ流す。と思ったら、ヘッドフォンをつけて、キーボードピアノで聞き取りの練習を始めた。あたりをつけながら左手の音を探る、その練習を少しずつ進めてる。少しして終わり。カーテンを開けると窓から月が見える。久しぶりに両手を組んで祈る。祈るだけ。期待せず、何も求めない。ただ祈る。わたしはわたしを生きられているのか私に祈る。問いかけにも近いのだろうか。私は宗教を持っていないけれど、小さい頃から静かな月だけは見上げることが多かった。とある冬、寒い季節、屋根に登って眺めた月はとても冷たかった記憶が鮮明に思い出される。

沢山の『致し方なし』の後に訪れてくれた久しぶりのとても静かな夜だ。少し本を読み進められて、気分もよい。こんな時間がもう少しだけ増えると嬉しい。

    通院後は欲しいモノを一つ

@rian
Twitter: @Rian_nokiroku