一体いくつ家にメモ帳とスケッチブックと画用紙とノートがあれば満足するのだろうかと思いながら、新しい真っさらなメモ帳とジェットストリームのボールペンをベッドの上に放り投げる。ペンの太さは0.5。
布団の上の住人に昨日からまたなっている。大変精神状態が心許ない。不安、焦燥、失望、恐怖。大変宜しくない。まぁ、でも、そういう日もあるかと投げやりに。きっとそんな日になる予定だったのだ。そんな日が必要だったから。(早く過ぎ去って
学生時代、「社会人になったら夏休みのような長期間の休みは取れないんだからしっかり休みを楽しむように」と、長期休みが近づく度に耳が飽きるほど聞いたが、家族と関わること自体が嵐の毎日だったので、私の人生の場合、退職後にでも休みを経験できるのかなと幼いながら思っていた。どこか人里離れたとこに小さな山小屋を買って、静かに本を読み続けて眠るように逝きたいと、かれこれ14の時から思っている。ところがどっこい、25の歳の春、教育機関からも家族からも概ね自由になり、自由意志を行動に反映させられる環境になった私は、これ幸いと怒鳴り声と脅しと虐めが蔓延る新卒で入った会社を3ヶ月の休職のち退職した。嵐はこれまでの20年で充分だと。前の梅雨と夏の時期、初めて人生で『休み』を知り、ゆっくりと休んだ。20年くらい寝ていたい。
私にぴったりの仕事だと胸が張れるモノをいつか贈ってやりたい。それを今も、少しずつ創っているところで。創れているであろうか。考えながらも身体が動く日は、手を動かす。身体も心もきっとずっと疲れているのだろうから。生き残る為に未来から前借りを沢山したのだろうから。酷使が不可能。どんな状況でも続けていけるように。そしたら、きっと。
『マイ・インターン』という映画、ずっと心に残ってる。私も決して不幸ではない。心にぽっかりと空いてしまった穴。随分長らく空っぽの私の洞をそのままにして生きていくにはあまりにも痛みすぎたというだけで。やっと育った1本の梅の木と少しの鮮やかな花らを喪わなくてよい術を私はまだ知らない。
確かなことなどなにもない。喪なわれるものだと分かっているから、喪わないようせめて祈るのだろうか。