私はたくさんの覚悟をした。これでいい。このままでいい。元の道に戻らなくていい。このまま進んでいく。夢はよく視るほうだと思う。ここ数日は、あー飽きた、と思うと目をぱちりと開けるようになっている。6:30。起きてスマホにすぐ手を伸ばす習慣を少しだけ堪えてぼーっと考え事をする時間に充ててみる。考え事の内容もどうやら調整が必要だ。朝から必要以上に感情の制御はしたくはない。夢を映画とでも思ってるのかしら?でも、夢のなかで夢を夢だと気づけたことはない。現実と空想が結びつき、私を生かし棲まわせてくれる夢のなか。幼い頃からずっとそうやって生きてきた。現実と空想を行ったり来たり。わたしは夢から醒めていても、現実より空想の中を生きる時間のほうが長かった。それは事実。
わたしはわたしが空想した大学に居た。4年心理学を学んだ編入生として。どうやら大学にもう一度行きたいという現実での祈りが夢のなかで現実になったらしい。現実での専攻は心理学。わたしは心理学の畑で確かに育てられました。さて、カリキュラムを渡された。たくさんの分野の中から自由に選べる。語学、経済学、哲学、農学、文学、教育学、倫理学、植物学、生態学、医学、数学、等等等。配られたカリキュラムには、それらの単語と併せて挿絵が多かった。専攻はなく、学びたいものを自由に学んでよいシステム。わたしは芸術や美術や動物学を選択した。海の近くに大学は建設されていて、特に海洋生物について学びやすいらしい。でも海辺はたくさんのゴミが航空写真でみると浮かんでる。どんなことを学べるんだろう。大学の中には大きなデパート、ホテル、教室、争い、助け、混沌、エトセトラ、粗方揃っている。わたしはそのなかで逃走、逃走、逃走、、、結局逃走して大学のオリエンテーションが終わる前にわたしは敵から逃げきれないと悟り、捕まる前に目を覚ました。勉強したいんだけど、その前に逃げ切らないとね。と現実のわたしにも少し声をかけてやる。
現実の情報と空想が結びつく夢のなか、わたしはわたしを教えてもらう。
わたしはいつか安心に辿り着く。死ぬまでに間に合う予定ではある。とんとイメージは湧かないけども。それに無事間に合ったら、いつか学びたいことを自由に選択して自由に学んでいける大学のような、どんな人でも集まることのできる場所を作りたいんだ。出来たら争いは無し。
でも、生きるのに疲れた人が一晩だけ泊まって休んでいく1人対1人の宿みたいな、安心を伝えられるような居場所も創ってみたい。その人のために側に居たりご飯を作ったり、必要であれば会話をしたり。そうやって人に安心を贈って、わたしの為に人を大切にしてみたいんだ。人間嫌いの博愛主義者。でもそれ以上にきっと浪漫主義者。
いつかそんな場所を創るから遊びにきてね。
覚悟の意味も分からなかった。感覚も知らなかった。わたしを喪う覚悟なら、今記憶が存在する頃から、何度もした。でもわたしを喪わない覚悟はしたことがなかった。それはとても心地よくて、苦しかった。感覚が異なるから、わたしを喪いそうになると苦しくなる。あー、その苦しさが発露する決断の仕方は、間違いだって教えてくれてる。じゃあ、その一瞬前に戻って戻って。そんな感じで、わたしを喪わない覚悟の練習。
僅か10分の思考であちらこちら。ちょっと伸びをしてカーテン開けようか?
久しぶりに練り切りに出逢った。次はいつになるかわからないから購入して食す。口の中に柔らかさが触れる。
【よくやってると思うよ、君は】
探し求めてた和菓子