昨日参加を表明したブローガストは雑に言ってしまえばブログ月間と呼べるだろうし、ブログとこれまでどのように付き合ってきたかの話をしてみようと思う。どこかで書いたことのありそうな話ではあるが、どこで書いたかは定かでないし同じ話をしてもまあいいだろうという気持ちで書く。
わたしが初めてブログを作ったのは中学2年生くらいの頃で、初めて使ったブログサービスはFC2だったと思う。携帯電話は持っていなかったし自分用のパソコンも持っていなかったので(当時持っている友だちがいて羨ましかった記憶がある)、家の共用パソコンでこそこそと書いていた。学校の親しい友だち何人かでブログのURLを教え合って、お互いが更新したらそれを読んでいた。鍵アカではなかったはずだけど全く知らない人向けには書いていなくて、読みづらくて私信の多いブログだった(「私信」という言葉を久しぶりに使った)。学校での出来事や当時ハマっていたジャニーズの話などを、したいようにしていたと思う。
最初は内輪向けに書いていたブログは次第に外向けになり、日常用とオタク用で別のブログを作るようになった。Twitterが登場してアカウントを複数持つようになりそれに合わせてブログを作る、という自然な流れでそうなったと思う。
ブログ的なサービスはあちこち移り住んできた。JUGEM、忍者ブログ、エムブロ、tumblr、alfoo、はてなブログ、note。もしかしたらまだあったかもしれないが、今思い出せるのはこれくらい。アカウントがまだ残っているものもあり、20年前くらいの自分が書いた非常に読みづらい文章がまだ読めたりする。一方でサービスが終了して強制的に読めなくなったものもある。
書く内容や場所、読まれる対象は変わっても、最初からずっと「誰かに話を聞いてほしい」からわたしはブログを書いていたのだと気付く。学校で話せなかったことを聞いてほしい、普段所属するコミュニティでは話せないことを聞いてほしい、話さないと気持ちが収まらないから聞いてほしい。誰かに聞いてほしくて書くから、ブログが読まれているかどうかが気になる。書いただけで満足なフリをしている方がスマートに見えるけど、書いたからには読まれたい。
そう、わたしはブログを読まれたいのだ。驚いたことに、ここまで書いてきた文章によって、自分の中にある「読まれたい」という欲を初めて素直に受け止めることができた気がする。わたしは自分の文章を「読まれたい」と考えることに、どこか恥ずかしさやおこがましさを覚えていた。それに対して「でも読まれたいと思うのって別に悪いことじゃなくない?」みたいな、ぼんやりと優しそうなフォローをしてごまかしていた。なぜ「読まれたい」のかを追究したことは実はなかったかもしれない。
ただ、読まれたいがバズりたいわけではない。これまでの流れを汲むと、話を聞いてもらう相手が誰でもいいわけではないからという単純な理由に行き着く。ブログを書く際には読んでもらいたい対象をイメージした上で書いた方がよいと聞いたことがある。特定の誰かを頭に浮かべることはほとんどなかったが、わたしの話を否定せずに聞いてくれる相手を無意識に想定してわたしはブログを書いてきたのだと思う。それはインターネット上で文章を書くという観点では甘いかもしれないし、ネガティブな意味で想定外の反応が飛んできたらと考えると怖くはある。それでも話を聞いてもらいたくて、聞いてもらえると嬉しくて、こうして今日までブログを書いてきてしまった。